こんなことをするようになるなんて思わなかったな、と自分の行動力に半ば感嘆する。かみさまは凄く意地悪だ。それでも紬と出逢えたことを後悔はしていないし、この先もきっと後悔することはない。
でも、兄貴とは、どう接すればいいのか分からなくなってしまった。数日前まではそれでも、気のせいだと考えを打ち消していつも通りに接していたけれど。ここまで来たら、もう、俺にはどうすればいいのかなんて分からない。
それで、もし、本当に、兄貴があの人物だとしたのなら。
紬も兄貴も、俺にとっては大切なひと。ただ二人を天秤にかけたとき、傾くのは紬側。けれど、一番同じ天秤に載せたくなかった二人だ。
「……つむぎ」
俺は一体何を信じればいい。
本当に『過去』を『記憶』を『未来』を信じていいのか。約束を、あしたを、信じてもいいのだろうか。
分からない。解らない。────わかりたく、ないのかもしれない。
「……わ、たる……?」
その時、だった。耳に飛び込んで来た、聞き慣れた、聞きたかった声に、俺は勢いよく顔を上げた。
「紬……っ」
困惑した表情を浮かべる紬に、どうしたの、と声をかけられる。なんて言えばいいのかわからずに、俺はただ紬、と名前を口に乗せた。
会うことしか頭になくて、何をどう言うのかなんて考えていなかった。言葉が出ずに黙り込んだ俺を見かねて、紬に腕を引っ張られる。紬を見やると、あっち、と近くの喫茶店を示されて、こくりと頷くと二人並んで入った。
「……渉、突然どうしたの?」
「……ごめ、ん」
それきり、また途切れる会話。
ホットラテ二つを頼んだ紬は、敢えて訊ねてくることはしない。届いたうちの一つを俺に渡すと、ふぅふぅと冷ましながら少しずつラテを啜る。紬に倣って両手でカップを持って一口啜ると、身体が冷え切っていたことに気付いた。
あったかい、と一言落とすと、ふ、と紬の笑う声がする。それに言いようのない安心感を感じて、ことり、と音を立ててカップを机に置いた。
一度紬に目を向けて、言葉を探すためにまた外す。居心地がいいようで悪い沈黙。けれど焦っても言葉は出てこないことを分かって、下手に何かを言うのではなく、訊きたい言葉を自分の中で探す。紬が急かしてこないことがありがたい、と思いながら、漸く思いついた言葉に俺は顔を上げた。
「────額田、王」
「っ、」
「嗚呼、やっぱり」
額田王、だったんだね。
泣きそうに笑う俺に、紬が手を伸ばそうとして、止まる。その反応は、言葉なんてなくたって肯定だと分かるもの。目の前に突きつけられた現実を受け入れたくなくて、すぐさま立ち去ろうとたった俺を、紬の腕が引き止めた。


