「バイトに店任せて、まったくあの人は……」
「具合が悪いらしいですよ。でもあれでよくこのバーが潰れないものだと感心します」
「俺も。ところで綾、」
トン、と背中に当たる壁は冷たくて。
そこに彼が両手をついた。まるですっと心に染み入るように、ゆっくり。
視界に入るのは、悪戯な笑み。
「逃げ場が無いの、わかってた?」
「……のわっ、」
じわりと片耳が熱を持つ。優しく食まれ、頭蓋さんの吐息がはっきり聴こえてーー息がつまる。
ふっと笑われた。と同時に顔の距離が離れる。はぁ、と一気に息を吸い込めば甘い空気。
「綾色気ないね」
「頭蓋さんデリカシー無いですね」
「ありがと、」
「褒めてないです」
クツクツと目を細める彼が余裕のあるようにしか見えない。なんなんだティーシャツのくせに。カーディガンのくせに。関係ないか。
「客とは何もなかった?」
そう言いながら、これ綾のやつ?とカウンター席に出しっ放しだったグラスを指さされる。
たしか私のもので。
「別に……お客さんは新井さんだけで、話しやすい人だなって思ったくらいですけど、ってちょっと待て、なに私のグラスで飲んでるんですか!」
あろうことか彼は、烏龍茶と氷を入れて私のグラスで飲みはじめた。
