そろそろかな、と思った時にはそこにいる。
昔から翠はそうだ。

「おはよ、玲」
「もう夜だよ」
「眠ってたんだもん」
「知ってる」

翠は欠伸をしながら無理やり笑う。

「変な顔」
「同じ顔でしょ」
「まぁ、そうだけど」

向かい合う僕と翠は、たしかに同じ顔をしている。
茶色がかった猫っ毛の髪も、薄い唇も、指の形までそっくりだ。
僕たちを見て、たった1つの違いに気づく人はいるだろうか。
きっと誰もわからないだろう。
目の前で、翠がゆっくり瞬きをする。
毎回のことながら、その美しい色に引き込まれそうになる。
翠の瞳は、誰も知らない場所にある、しんと静まり返った湖のような、深い緑色だ。

「玲、緊張してたでしょ」
「そんなことないよ」

答えたものの、今日という1日、僕は緊張のし通しだった。
何しろ今日は高校の入学式だったのだ。
緊張しない方がどうかしている。

「話してよ。最初から最後まで」
「知ってるくせに」
「ちゃんと聞きたいんだよ。
僕の体験として共有するためにさ」
「はいはい、日課だもんね」

僕と翠を繋ぐのは、僕だけの記憶、僕だけの体験。
僕は湖面に触れるように、そっと翠と手を合わせる。
日課というより、儀式に近い。
僕と翠とを繋ぎ止めるための儀式。
翠の手はいつもひんやりと冷たい。
緑の瞳が静かに輝く。
僕の双子の兄、翠は、あの日からずっと鏡の中にいる。

今日……
翠の瞳を見つめながら僕は思い出す。
心底疲れた、変な1日。
それというのも、あの妙な女の子のせいだ。
名前は確か……

「私、新宮雅。あなた、ちょっと他の子と違うわね」

僕の1つ前の席に座っていた女の子は、ぶるん、と長い三つ編みを揺らして唐突にそう言った。
常に人には感じよく振る舞うよう心がけている僕だけれど、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

「ほあっ?」

新宮雅は、分厚いメガネの奥で目を線にしながらケタケタ笑った。

「ほあって何?あなたどこの人?」
「どこって、れっきとした日本人のつもりだけど」
「どうやらそのようね」

初対面からあまりに失礼なその子は、メガネをずいと持ち上げて僕を見つめた。
まるで、研究対象のラットでも見るような目つきで。

「あなたって、やっぱりちょっと変ね」
「初めて会った人にそんなこと言われたの初めてだよ」
「あ、ごめんなさい、悪い意味じゃないのよ。私、わかるから」
「え?」
「空気が震えるのが、わかるのよ」
「空気?」
「ええ。特殊な人の存在をね、空気が教えてくれるのよ」
「……」
「だから私、あなたがちょっと変だってことがわかったの」

たぶん、僕より君の方がずいぶん変だと思うけど……
喉元まで出かかった言葉を、僕はなんとか飲み込んだ。
いくら相手が妙な女の子でも、入学早々失礼な言葉をかけるのは人としてよくないと思ったのだ。

「藤野木、玲。すてきな響きの名前ね」
「ど、どうも……君もきれいな名前だね」
「大女優みたいでしょ?」

彼女は得意げに笑った。
これが、僕と新宮雅との出会いだった。

「あは、変な子だったよね」
「うん、大体初対面から失礼だよね?」
「でもすごくおもしろかった」
「そりゃ翠はおもしろいだろうけどさ」

晴れて高校生になった僕は、緊張しつつもこれから薔薇色の日々が待っているんだとどこかで期待してた。
かわいい女の子と仲良くなったり、なんてさ。

「最初の出会いがあれだよ?」

新宮雅。
美しいのは名前だけの、ちんちくりんで今時三つ編みで分厚いメガネの変わった女の子。
すると、鏡の中で翠は薄く笑った。

「でもあの子、かわいかったよ」
「え、翠の趣味って変!」
「ふふふ」

ごまかすように笑うのは翠の悪い癖だ。
翠は僕をまっすぐ見つめると、小さく咳をした。

「玲、高校入学おめでとう」
「……翠もだよ」

僕だけじゃない。
僕と同じステージに、翠も立っているんだ。
僕の気持ちを察したのか、翠は頷いた。
大丈夫だよ、翠。
僕たちはこれからもずっと一緒だよ。
あの日出会った僕たちは、1つの殻の中に戻ったんだよ。

「それじゃ、また眠るよ」
「え、また寝るの?」
「育ち盛りだからね」

瞬きをした直後、鏡の中の僕の瞳は、ありきたりな茶色に戻っていた。
翠はまた、行ってしまった。