翌朝の私は、少しだけ早歩きで会社に向かった。


(今日はちょっと遅くなっちゃった)


最近ずっと染谷くんの誕生日プレゼントのことばかり考えているせいか、いつもよりほんの少しだけ寝坊してしまった。遅刻するほどではないのだが、どうにも気持ちがそわそわしてしまう。

会社のあるビルに着いてエレベーターに乗り込むと、後ろからどわっと人が押し寄せてきた。背中に衝撃を感じて、思わず前につんのめる。


(そうだった、この時間は混むんだった!)


ずっと出勤時間を早めていたため忘れていたが、この時間はちょうど出勤ラッシュになるタイミングだ。もう乗れないとわかっていても、定員オーバーを知らせるブザーの鳴る寸前まで人が突っ込んでくる。


(く、苦しい……)


あっという間にぐいぐいと壁に押しつけられてしまい、身動きが取れなくなった。ぎゅうぎゅうになったまま上昇するエレベーターの中で俯きそっと息を潜めていると、不意に背中に感じていた圧迫感がなくなった。
急に楽になった私の後頭部のあたりから、聞き慣れた声が降る。


「……おはよ。大丈夫?」


私にしか聞こえないくらい小さな囁き声は、どう考えても染谷くんのものだった。


「……」


おそるおそる首を捻って振り返ると、至近距離に喉元が見える。ドキドキしながら目線を少し上げると、目が合った。

眉間にうっすら皺を寄せながら、染谷くんが立っている。私を覆うようにしながら隙間を空けてくれていることに気付いて、声にならずに口をぱくぱく開けた。


「松井がぺしゃんこになる前に間に合って良かった」

「……」


そう言って目の前ではにかむ染谷くんを間近で見てしまい、私はみるみるうちに真っ赤になったと思う。さっと視線を外すと、今度はエレベーターの壁に向かって伸ばされている染谷くんの腕が目に飛び込んできてしまう。


(うわ、わわわ)


囲われているような変な錯覚を起こしてしまい、結局私はずっと俯き続けるしかなかった。


ーー染谷くんの優しさは、時に私のキャパシティを大きく超えてくる。


結局まともに話もできないまま、染谷くんは自分の業務フロアでエレベーターを降りていってしまった。


(ちゃんと挨拶できなかった……後で謝ろう)


私はその頼もしい背中を、エレベーターの扉が閉まるまで見つめていた。