(よかった、断っておいて)


エントランスは既に施錠されているため、業務を終えた私は会社の裏口から出る。せっかくの染谷くんのお誘いを断ってしまったが、こんな時間まで待たせるよりはずっといいと思った。

きっと私に対する心証は最悪だろうなと苦笑しながら歩き出したとき、目の前が影に覆われた。


「松井」

「ひゃっ! びっくりした……」


とっくに帰ったはずの染谷くんがそこにいたので、驚きのあまり声が裏返ってしまった。


「染谷くん。どうしたの? 忘れ物?」

「……ごめん。松井のこと待ってた」


そう言って少し照れたように笑う染谷くん。
いつものビジネスバッグと、本屋の店名がプリントされた袋を持っている。時間を潰して待っていてくれたと気付き、胸が暖かくなった。

前まではただ申し訳ないと思うばかりだったが、今はそこに〝嬉しい〟という感情が混じっている気がする。最近の私は、こういった気持ちの変化に戸惑ってばかりだ。


「……ありがとう」


私たちは人通りが少なくなってきた道を歩き始めた。染谷くんが自然に隣を歩いていることが変な感じだ。私は何だか落ち着かなくて、目線をあちこちさまよわせる。

染谷くんは、とりとめのない世間話や今日面白かった同僚の話を教えてくれた。今まで、そんな話はしたことがなかったので妙に意識してしまい、相づちすらうまくできない。