敬ちゃんは、あたしを家まで送ってくれた。

「送ってくれてありがとう。」
「ううん。」
「気をつけて帰ってね。」
「さっきのこと…」
「…ちゃんと考えます。」
「ありがとう。」
「また明日。」
「バイバイ!」
太陽のような笑顔であたしに大きく手を振り、敬ちゃんは駅へと向かっていった。その後ろ姿を見えなくなるまで見つめる。
あの後、戸惑うあたしの姿を見て話を変えてくれた。急な出来事で、上手く言葉を探し出すことは難しかった。申し訳ないと思いつつ、たわいもない会話をした。敬ちゃんの優しさは、真剣に気持ちと向き合わなきゃいけない、と思わせてくれたんだ。
ねぇ。あなたなら、あたしを幸せにしてくれる?
小さくなっていく背中に心の中で問いかけてみた。

「帰り、遅かったな。」
後ろから声が聞こえて振り向くと、スウェット姿の悠人が立っていた。癒えたはずの傷がズキっと痛む。上手く顔を見ることが出来ない。
「真中と、なんかあった?」
ゆっくり悠人を見ると、もの凄く不安そうな顔をしていた。
「…なにもないよ。遅くなっちゃったから、送ってもらっただけ。」
とっさに嘘をついてしまう。告白された、なんて言ったらもっと不安な顔を見ることになるだろう。
「今日、親が帰り遅くなるらしくて、お前ん家でメシ食べることになった。一緒いれてくれ。おばさんには言ってある。」
「うん。」
門を開けて、玄関に向かう。鍵を鞄から取りだそうとすると、腕を掴んで引き寄せられた。
「えっ?」
あたしの肩に、顔を埋めて震えている。
「ちょっと、どうしたの…?」
顔を見ようとしても、背中に回す腕が強くて悠人顔を見ることが出来ない。
「暫くこのままでいさせて。」
腕の力とは反対に、声はとても弱々しい。無理矢理突き放すことも出来るはず。でも、今は無理だ。一緒に過ごしてきたけどこんなに弱い姿、初めて見たよ。
「あいつと付き合うの?告白、されたんだろ。」
「さ、されてないよ。」
「嘘つくなって。言わなくてもわかる。」
そう言って力なく笑った。
トビラが
少しずつ
ヒ ラ イ テ イ ク

「ごめん。今日俺、変だわ。」
「ゆ、う…と?」
背中に回す腕がゆっくりと力をなくしていく。それと同時にあたしは悠人の顔を見た。
「ごめん。他の奴のものになるって考えたら、かなり苦しい。あー、マジどうかしてるわ。」
そう口にすると、頭をぐしゃぐしゃとかき乱して玄関に腰を下ろした。
君はなんてずるいんだろうか。ずるいよ。そんな顔されたら気持ちが揺らぐじゃない。
「とりあえず、悠人の家行こう?このままじゃ、ご飯なんて食べらんないよ…」
力ない手を握って、悠人の家へ向かった。ポケットから鍵を出して、鍵穴に差し込みドアを開ける。悠人そのままリビングへ行き力なくソファーに座り、うずくまってしまった。ただ、その姿を見つめることしかできない。
少しの間、悠人を見つめていたけど、なんと声をかけるのが正解かわからない。
「あたし帰るね。」
重い空気に耐えかねて、声をかけてリビングを後にする。
そのとき、「待って。」背中に人のぬくもりを感じた。
後ろから回された腕に優しく触れて「汐里が…心配する。」そう口にするしかなかった。『汐里』という言葉に反応して回す腕の力が強くなった。心が痛む。誰も傷つかない方法ってあるのかな。あるんだとしたら、誰か教えて欲しい。
携帯の振動が体に伝わった。鳴っているのはあたしの携帯じゃなく、悠人のもの。きっと、汐里だ。
「鳴ってるよ。」
「汐里だろ。」
「だったら出なきゃ。」
少し躊躇ったあとにポケットから携帯を取り出し、汐里からの着信に出た。
「もしもし」
『悠人?遅いから…心配しちゃった。今どこ?』
通話口から汐里の声が小さく聞こえる。
「今?家だけど。」
『えっ?…真帆も一緒なの?』
一緒に委員の仕事をすると伝えたからだろうか。それとも女の勘なのだろうか。身体に緊張が走る。
「違うけど。」
悠人の返事にすこしほっとする。
『そっか。』
汐里は通話口の向こう側で同じようにほっとした様子だ。恋、してる声だなぁ。本当に悠人のこと好きなんだな。そう感じた途端、この状況を作ってしまったであろう自分に罪悪感が生まれ、汐里に後ろめたさを感じる。
「あいつ…まだ帰ってないの?」
『一緒に帰ってきたんじゃないの?』
「途中で真中が来たんだ。だから俺は先に帰ってきた。」
『真中くん?そっか…!今頃二人切りなのかな?』
「どうなんだろうね。」
その後少しの間が空いた。何か気づいたような反応だった。
「なんでそんな嬉しそうなわけ?」
『だって、真帆が幸せになれたら、わたしも幸せだから。』
ほら。汐里はいつでもあたしを想ってくれてる。何やってんだろ。今の情況が汐里裏切ってることなんてわかってんのに。
「ごめん。もう電話切る。もうすぐ行くから。」
『うん!待ってるね。』
背中の向こうでパタンと携帯を閉じる音が聞こえる。それと同時に両肩を強く掴まれて、体を悠人の方へ向けられた。あたしはビックリして肩を竦めた。掴む手に力が入って、痛い。肩だけじゃなく、心も、痛い。
「どうしたの、急に。ねぇ、痛いよ。離して。」
「そういうことか。」
「そういうこと?」
「いくら考えてもわからなかったことがわかった。」
わかった?なにそれ。
「汐里がお前のことを考えてくれてるから、裏切れない。」
「何言ってるの?」
掴まれた両肩に更に力が入る。
「お前…なんでそこまですんの?」
悠人を直視できなくて顔を逸らす。
「手、離して…?」
「俺をちゃんと見てくれよ。」
胸が苦しい…。ゆっくり、優しく悠人の手を握りしめると力が抜けていくのがわかった。「ごめんね。」と答えて力なく肩におかれた手を下ろした。無言で俯いてる悠人を残して玄関に向かった。あれ以上一緒にいたら、きっと…。揺れ動いちゃうよ。