賑やかな商店街を抜けて坂を登ると閑静な住宅街。この一画に、あたしたちの家はある。
「ただいまー。」
「おかえりなさい。」
玄関で靴を脱いでると、お母さんがキッチンから顔を出してきた。柔らかい笑顔でいつも、あたしたちを出迎えてくれる。内原家では、これが日課。家中に良い匂いが広がってる。
「もう少しかかるから、先に着替えてらっしゃい。」
「はーい。」
階段を上がり、それぞれの部屋へ行く。双子でも部屋は別々。制服から部屋着に着替えを済ませる。カバンから携帯を出して机に置いた。メール着信を知らせる通知が画面に表示されている。受信ボックスを開こうとしたとき。
「真帆ー?お母さんが呼んでるよ。」
汐里が部屋へ顔を出してきた。
「はーい。今行く。」
ディスプレイを消して、携帯を机の上に置き、キッチンに向かう。
「お母さん、なーに?」
お母さんは包丁を動かす手を止めた。まな板の上にはしめじとほうれん草が乗っている。
「そうそう、ちょっとお願いしたいことがあるの。」
野菜の水分で濡れたてをタオルで拭いて、キッチン脇にある収納棚からお財布を取り出した。お母さんのお願いがなんとなくわかった。お願い事が口から出る前に、
「何買ってくればいいの?」
と聞き返す。夕飯の買い忘れがある時は、大概あたしに頼む。汐里に頼むと肝心なものを買ってくるの忘れちゃうからね。お母さんと汐里の性格は、そういうところが似てる。
「生クリームと、コンソメ切らしちゃったの」
「はーい。他は?もう大丈夫?」
念には念を。これ大事。
「うん、大丈夫!」
この言葉を合図に、駅の近くにあるスーパーへと足を運ぶ。部屋着で近所に出歩くのはもう慣れっこ。学校の子は電車かバス通学がほとんどで、スーパーは学校の反対側にあるからめったに遭遇することもない。

春の風を体で感じながらスーパーでお使いを済ました。
「ただいま〜。」
「ありがとう!」
お母さんが玄関まで出迎えてくれて、買い出してきたものを手渡す。
「はい。お腹空いたー。」
あたしの胃は音を発てて空腹を訴え始めている。
「もうすぐ出来るからね。リビングで待っててちょうだい。」
手を洗ってリビングへ行くと、汐里がソファーに座りながら本を読んでいた。
「何読んでるの?」
隣に腰掛けながら、背表紙を覗き込んで題名を見る。
『初恋- ハツコイ -』
「汐里、こんなの読んでるの!?」
ビックリして思わず大きな声を出してしまった。
「あっ…!」
それまで真剣に読んでいた本を急いで閉じられてしまう。
「珍しいね、恋愛小説なんて。」
汐里が恋愛小説を読むなんて、かなり珍しい。普段はミステリー小説やファンタジー、ヒューマンばかりだからだ。
「…恥ずかしい。」
顔を赤らめて下を俯く姿は、とても可愛らしい。双子だけど、汐里はこういうところが守りたくなるというか、大切にしたくなる。明るいのだけが取り柄で素直じゃないあたし。女の子らしくて守りたくなる汐里。男の人なら、大抵、後者を選ぶはず。なーんて、くだらないことを考えてみる。

「真帆、汐里、ご飯出来たわよ。」
お母さんに呼ばれ、あたしたちはダイニングへ移動する。テーブルに並べられた料理。さっきまな板の上に置かれていたほうれん草としめじは、クリームパスタへと変身している。他にもサーモンと水菜のサラダ、デザートの杏仁フルーツポンチ。
「美味しそう!いただきまーす!」
空腹の胃に温かいパスタを入れる。
「今日は何かあった?」
三人で食卓を囲みながら恒例のガールズトーク。お父さんの帰りが遅い平日は、女同士の内緒話。
「真帆にね、いい人が現われたの!」
最初に口を開いたのは汐里だ。
「そうなの?」
お母さんがあたしに問いを投げる。凄く嬉しそう。
「そんなことないよ。汐里が勝手に言ってるだけ。」
だってあたしは分からないもん。敬ちゃんがあたしをどんな風に思ってるかなんて。
「どんな子なの?」
「身長が高くて、爽やかな感じ。野球部なんだって。」
汐里とお母さんが盛り上がってる。恋愛の話がようやく出てきて2人共嬉しいんだろうな。でも、あたしは1人複雑な気持ちで2人の会話を聞いてるだけだった。

鍵はかかってるのに、扉に隙間が出来てる。その隙間から冷たい風が吹き込む。いつもなら楽しいはずの食事。いつもなら美味しいお母さんの料理。今日は出されたものを、無心に胃へと流し込むだけだった。

「ごちそうさま。」
一番に席を外し、食器を流しへ運ぶ。汐里と盛り上がったままの調子でお母さんは
「あら、今日は食べおわるの早いんじゃない?」
と言った。
「そう?」
意識はないのにそっけなく答えてしまう。
「お風呂炊いたら声かけるから。」
「うん。」
あたしは一人、部屋へと戻る。イスに座ると一気に力が抜ける。
「はー。」
溜め息が出る。下ろした目線の先には机に置いた携帯電話。携帯を開きかけていたことを思い出す。ディスプレイの電源をつけるとメールが届いていた。
『真中敬です。さっきはアドレスありがとう。これからもよろしく。』
届いた時間を見ると18時代だった。時計を見ると20時を過ぎている。かなり待たせちゃったかも。急いでメールを返す。

『こちらこそ、ありがとう。よろしくお願いします。』
これで一安心、と思ったのも束の間。すぐに携帯が音をたてた。

『委員頑張ろうね。』

『うん、よろしくね』

『明日から放課後部活なんだ。迷惑かけるかもしれないけど、その時はごめんね』

『大丈夫だよ。では、また明日。おやすみなさい。』

凄く、返信が早い。あたしマメじゃないから、時間がある時しかちゃんと返せないかも。
携帯を机に戻し、再びベッドへ倒れこむ。布団はふかふかでお日様の香が舞い上がった。
お母さんが布団干してくれたんだろうな。今日、天気良かったし。そんなこと考えて、体の力を抜くと一気に眠気が襲ってくる。新学期早々、学級委員に推薦されるし、莉紗は変なこというし疲れた。明日は何もないといいな。目を瞑ると夢の世界へ誘われる。