そんな自由気ままに生きていける人間は世の中に存在する。

人生皆平等?

笑わせるな。

もし人生皆平等なら人の上に人は造らないなら、人の下に人も造らないなら組体操のピラミットは存在しない。

あるのはただ四つん這いにズラリと1列に並んだとんだドMの変態集団だけだ。
無知な若者に現実を突きつけた数少ない教育のピラミットの組体操に当時僕は感動したものだ。

当時といってもそれほど昔ではないけれど。
ちなみに組体操は2クラス男子合同で行われ9段あるピラミットの一番上だった。

理由は単純明快で一番軽いからだ。

組体操のピラミットひとつとっても人間性がよく見られた。

組体操が失敗すると少なからず不満は出てくる。

失敗の回数が多くなるほど不満の大きさは増え、不満を持つ人数も上がっていくことだろう。

それは下にいけばいくほど確率は上がっていく。

現に失敗したときミスの原因だった人間を責める人間や愚痴を漏らす人間は下の段の人間ほど多かった。

もちろん下の段ほど人数が多いのだから不満を持つ人間が多いのは当然のことだろう。

しかし不満の大きさや質が明らかに上の段と下の段では違う。

最下段の人間と上位3段の人間を比較したとき、上位3段は重いや大変というよりめんどくさい、バランスがとるのが大変というのが不満を持った者の意見だった。

しかし不満といっても大したことではなく、笑いながら冗談で言っている印象だった。

対して、最下段の人間はもちろん重いという意見、バランスの難しさ、下の段ほど失敗したときにやり直さないといけない理不尽さとめんどくささなど明らかに不満の大きさも質も違っていた。

中には失敗したものを怒鳴り散らす人間も何人かいた。

僕に至っては不満など一切なく、人間の背に足を踏み、1段1段昇っていくことに毎回快感と優越感を覚えていた。