溺れる恋は藁をも掴む

 柊が2歳になり、保育園に入ると、母さんは働きに出た。
俺は学校が終わると学童に通った。

 柊が落ち着くまで専業主婦になったが、出来るだけ親父との時間を減らしたたかったのか、
それとも、いつも親父に罵倒される度に言われていた、『誰に養って貰ってると思ってる』の言葉がそうさせたのか……?は分からない。
 
 たまたま、近所の電気部品会社の事務の仕事を募集していて、待遇が土日も休みなのと、9時から5時までの勤務時間が柊を保育園に預けるのに都合良かったらしく、そこに勤める様になった。

 働き出した母さんは、生き生きとしてきた。
会社に出掛ける前には必ず化粧をし、清楚な服装に着替え、柊を保育園に送りながら出社した。


 母さんに収入があるお陰で、俺と柊は、親父の居ない休日には、映画や遊園地にも連れて行って貰えるようになった。


 こうして、俺も母さんも小さな柊も、休日の家族の時間を作る事でバランスを保てていたんだ。