樫の木の恋(上)



正則が用件を伝え去っていった後に秀吉殿に問いかける。

「やはり此度の挙兵気乗り致しませぬか?」

秀吉殿は腕を組みながらため息を一つついて質問に答える。

「気乗りしないというより、僧兵が気に食わん。」

比叡山延暦寺。
此度の挙兵の目標だった。

何故寺が目標なのかというと少し深い訳があった。

前に三好三人衆が挙兵し、摂津国で勢力を広めつつあった。それを大殿は食い止めるために兵を出して、戦況を有利に進めていた。しかし本願寺の顕如が蜂起したために大殿は摂津国に掛かりきりの状況になった。

しかしその大殿の状況を見た朝倉、浅井家が京に向かうべく兵を出して来た。
それを織田家の森可成殿や大殿の弟の信治殿などが食い止めていたのだが、顕如が手を回したせいで延暦寺の僧兵が朝倉、浅井家に加わってしまった。

それにより佐和山城の落城は免れつつも、防衛線を突破し京へと向かっていると大殿に報告があった。
この戦いで森可成殿、信治殿は討ち死にしてしまった。

大殿は京が朝倉、浅井家の手に落ちた際の政治的影響を鑑み、摂津国から撤退して朝倉、浅井家の軍を潰しにいこうとしていた。

大殿が転進し向かってきていると気づいた朝倉、浅井家の軍は比叡山延暦寺まで撤退した。
大殿は延暦寺を包囲し、

「織田家につくなら荘園を回復するがそれが出来ないなら中立を保ってほしい。朝倉、浅井家につくなら焼き討ちにする。」

こうして強く呼掛けをした。
しかし延暦寺は大殿の呼掛けには応じず、朝倉、浅井家に荷担したのだった。

延暦寺が朝倉、浅井家に荷担したために、比叡山包囲が長引き身動きの取れない織田家を見た、反織田勢力が一挙に挙兵する事態となってしまった。

それでも織田家の方々が防いだが、なかなか朝倉、浅井家が降参しなかったことにより反織田勢力が次々と来る事にさすがに耐えきれなかった。

大殿は仕方なく義昭殿が仲介に入るよう画策し、朝倉、浅井家はこの講話を受け入れた。
織田家は撤退し、朝倉、浅井家は撤退していった。

これが世に言う志賀の陣。

この志賀の陣と義昭殿が裏で働きかけを行い織田家包囲網が引かれてしまったのだ。