「いや…」

ボサボサの長い黒髪と紅いインバネスコートを風に靡かせ、青白い顔、隈のある目で邪悪もまた笑う。

「お前との付き合いはそれ以前だ。旧史以前…まだこの世に人間はおろか、単細胞生物が生まれ出づる前からの付き合い」

「…?…何を言っている?」

ベナルが解せない顔をするのも無理はない。

彼はこの世界が『原初に還る前』のベナルではないのだから。

邪悪は嘗て、この世界で『振り出しの魔法』を行使した。

その魔法はいわゆる時間操作であり、自身の死も、他者が勝利した後でも引っ繰り返せる。

更には事前に行使しておく事も可能で、効果は術者が事前に設定しておいた事柄が起きるまで持続する。

例えば『術者が死んだら発動』と設定しておけば、死んだ瞬間に発動する。

また効果範囲も、自身だけや相手のみ、自身を取り巻く全てなど選択可能。

故に死角はない。

この魔法を習得した時点で、その者は『敗北』を失ってしまう。

他者から誇りと尊厳を奪われる事を、永遠に逸してしまう。

この魔法の効果範囲の中で、影響を及ぼされないのは、邪悪の意思で選んだ者だけ。

あとの者は全て、振り出しに戻る。

邪悪の敵も味方も、無関係の者も、何も知らない者も、世界そのものさえも。