振り返らず、挨拶もせず、あたしは安堂家を後にした。
まだ5時過ぎのはずなのに、世界はどっぷりと闇に浸かっている。
エレベーターを待ちながら、ギュッと胸元を握り締めた。
そういう意味で泊まるんじゃないって、安堂くんはそんなことしないって、思っていた。
女の子だったら誰にでもあんなことするの?
好きじゃなくてもできるものなの?
先生のこと、まだ好きなんじゃないの?
先生とも、あんなことしたの―……?
突風が心の中で吹き荒れる。
エレベーターがやってきて、静かにその箱の中に乗った。
(……安堂くんの、馬鹿…!)
ぐずっと濡れた目尻を拭って、地上を目指した。
掴まれた手首はまだ痛い。
触れられた場所はまだ熱い。
手首を、首筋を、…そっと胸元を摩りながら、エレベーターから降りた。
このオートロックの自動ドアを出てしまえば、もう安堂くん家に戻る術はない。
「…………、」
あんなことされた今でも、なぜだか朦朧としている顔が浮かんできた。
口にはしないけど、あたしがどこかに行かないかって不安そうに見ているあの瞳。
本当は人一倍寂しがりやの甘えん坊。
昨日の夜から、きっと不安で、寂しさに押し潰されそうになっていたに違いない。
[来て欲しい]って、言ったのは安堂くんだ。
だからあたしは来たわけで、要らないからご返品!だなんて虫が良すぎる。
「………!」
あたしは決意を決めて、ドアに向かって歩き出した。
(安堂くんの、バカ!)