「小林」

「……!」


呼び名はまだ、変わっていない。

だけど今は、それも気にならない。

好きって気持ちは、確実にその瞳の中にあるから。


「安堂くん…!」


なべっち達の背後を見据えて、あたしが微笑むと、なべっち達は「またね」とウインクをして、その場から居なくなった。

ナッチと安川くんと同じくらい、また一つ学年中を賑わせた。

あたしと安堂くんの関係。


「ちょっと、校舎に入らない?」


安堂くんは無表情に、だけど確実に何かを訴えかけるようにあたしに言った。

その顔を見て、小さく周囲を見渡した。

…なるほど。

今もまだ、ボタンを狙ってる子が、たくさんいるんだ。

あたしはそれに頷いて、二人で足早に人込みを駆け抜けた。

ボタン狙いの女子たちは、あたしと二人でいなくなる安堂くんを追うことはできずに、その場で諦めた。

まだ冷たい校舎の中、卒業生の姿がぱらぱらと散らばっていた。

どこに行くとも告げられず、ただ手を引かれていた。

校舎の中といえば、屋上に行くのかと思った。

別れて以来、一度も行かなかったあの場所。

だけど安堂くんはそういうつもりではないらしい。


「安堂くん…?」


手を引く安堂くんに、そっと問いかけた。


「どこに行くの?」


ついた先は、高校2年生の教室だった。

先生と安堂くんが、最初に終わった、場所。

そしてあたしと安堂くんが知り合うきっかけになった場所。


「ここのベランダ、桜が綺麗に見えるって知ってた?」


ベランダへ続くドアの鍵を開けて、安堂くんが言う。

ベランダで居眠りしたこともあったのに、桜の季節は知らなかった。

4月は友達を作るのに精一杯で、3月は安堂くんに夢中だった。


「う、ううん…、全然…」

「じゃあ良かった。来て」


安堂くんがベランダに立ち、顔半分だけ振り返って、あたしを呼んだ。

あたしはそれに引き寄せられるように、ベランダへ歩いた。

2年生の教室は3階。

だから桜の木なんて見えないはずだ。

「こっち」と言われて、ベランダの手すりに手をついた。


「ほら」


そっと下を覗きこんで、安堂くんが言う。

あたしもそれに従った。


「……わぁ…!」


下から見上げる桜とは、また違う。

上から見ると、それは大きな一つの花びらみたいで。

優しい花びらが、だけど力強く誇っていた。


「桜の花言葉って知ってる?」


ふいに聞かれて、顔を上げた。

体育館の傍には、今もまだ泣いたり笑ったり、忙しそうなみんながいた。

安堂くんを見つめて、あたしは小さく頭を振った。

すると、ふっと、彼は笑う。


「“あなたに微笑む”って意味があるんだって」


優しく微笑むと、安堂くんは再び桜の木へと視線を向けた。

手すりに肘をついて、愛おしそうに。

今、その瞳越しに誰を見ているのか、なんとなくだけど分かった気がした。