今、心の中にあるこの感情に名前をつけるとしたら、何だろう?
そっと視線がかちあった。
そこに言葉は要らなかった。
お互いに、分かっていた。
その顔は穏やかで、そしてやっぱり優しかった。
「……本当に大切にしたい人、見つけたんでしょ?」
この一言で、確信した。
俺が気づく前から。もしかしたらセンセーは気づいていたのかもしれない。
本当に誰かを大切にしたいと思った時、人は想像よりもはるかに不器用になるってこと。
自分の欲望だけじゃなくなるってこと。
相手のことばかり考えすぎて、空回りして。
そんな自分に打ちひしがれて、それでもその笑顔が愛しくて。
ぶつけてばかりだった俺から、相手を大切に思える俺に成長した。
それはひとつの出逢いから。
相手は絵梨ではなかったけれど、でもきっと絵梨がいたから分かった気持ち。
真っ直ぐに絵梨を見つめたまま、頷いた。
「……ああ」
頷いた俺を見て、絵梨は優しく微笑んだ。
『もうあたしは大丈夫だから』
と、言われた。
『ありがとう』
って、伝えた。
『そんな大人な顔、見たことない』
と、茶化された。
病室を後にするときは笑顔だった。
涙を隠した笑顔じゃなく、心からの笑顔。
『つらい顔してたってことは、小林さんと何かあったんでしょ?』
と、センセー面した絵梨がいた。
ポーカーフェイスを決めたはずなのに、すぐにバレた。
「そんなに不器用な男だったっけ?」
「………、」
目を丸くした絵梨に、俺は不機嫌に顔を背けた。
それでも絵梨は笑っていた。
『がんばれ』
って、他人事。
誰のせいでこんなことになったと思ってんだよ…。
でも、最後に伝えたかった、言葉は。
ずっと前から決まっていた。
「じゃーな、先生」
「………!」
一度だって呼んだことなかった。
きょとんとした顔を、最後に鼻で笑って、病室を後にした。
再び動き出した時間が、今、ようやく終焉を迎えた。
途切れていただけの時間が、もう二度と動き出さないための、必要で大切な、最終章だった。