いや、しようと思えば出来た。

でも、出来なかった。

あの時、離してしまった手と。

この状況。

絵梨はまだ、俺との歴史の中に生きていた。

俺が病室に顔を出すと、あからさまにホッとした顔をする。

2年間の記憶をなくしていること、分かっていなくても、何かしらの不安は感じている。

心細さ。

人は、過去が思い出が、あって初めて自分の存在を確認できる。

今の絵梨にとって、俺という存在が自分の存在を証明できるものなんじゃないかと思った。

そう思うと、出来なかった。

絵梨を置き去りにするなんて、出来なかった。

天秤には掛けられない。

絵梨の存在と小林の存在を秤になんか掛けられない。

一直線上にあると思った感情が、実は全然違うものだったことに気付いた。

絵梨に対する感情と

小林に抱いた感情と。

あの時あの場所で、あの手を離していなければ、迷うことなんてなかった。

気持ち。

想い。

これから向かう未来。

今は自分が自分を信じられない。

それはきっと、俺以上に小林が感じていること。

葛藤。

心の中でどうにも出来ない感情がうごめいている。

離してしまった手。

伝えずに終わった3年間。

今、こんな状況じゃなかったら、ことはもっと単純だったのに。

絵梨にサヨナラと、

暗闇から連れ出してくれてありがとうと、

伝えて終わりだったのに―――。