手術から少しして、すぐに絵梨は目を覚ました。
「………佐久良くん…?」
ぼんやりとした瞳で俺を映して、おもむろに呼んだ。
ここから、違和感は感じていた。
この人の性格上、区切りをつけた後に、こう呼ぶのは変だ。
「ここは…?あたしは、いったい…。痛…っ」
「動いちゃダメだよ。左足、骨折してる。なんで歩道橋から落ちたの?頭も、数針縫ってるって」
階段の中腹から逆さまに落ちたも同然だった。
頭から血を流している姿を見た時は、気が動転した。
……あの手を、離してしまった。
「歩道橋……?歩道橋ってどこの…?あたし、怪我したの?」
「………、」
小さな違和感はだんだんと拍車をかけて大きくなる。
「てか、佐久良くん、また髪染めてる。いつ染めたの?」
「――――、」
何かがおかしい。
すぐさま医者を呼んだ。
診断は、逆向性健忘。
いわゆる、記憶喪失。
日常生活には支障のない範囲だが、忘れてしまっている内容が厄介だった。
絵梨の記憶では、今はまだ大学4年生。
2年前を生きている。
社会人になっての2年間をすっぽり忘れてしまっている。
そして、自分が教師を目指していたという記憶を、全て。
学校関係者が見舞いに訪れても、今は混乱させるだけだからやめた方がいいと言われた。
一時的な記憶の錯乱で、すぐに思い出すだろう、とも言われた。
その説明を、なぜか親父が校長達に話していた。
自分たち親子は、絵梨と昔からの付き合いだから、ぜひ任せてほしい、と。
医者として、友人として、責任を持つと、親父は言った。
…いつも口では調子のいいことばっかりだ。
そのせいで、小林には3日間、連絡することが出来なかった。