しかし、まあ、時間の流れというものは残酷なもので、授業を二つ受けると放課後がやってきてしまった。はあ、これからどうなるのか、考えるだけでも憂鬱になっちまう。だが、ここでどうだろう。昨日のようにホームルームが終わると同時に脱兎のごとく廊下に飛び出しちまえば、巫部凜という存在から逃げ失せる事ができるのではないか? よし、我ながらいい案だ。ホームルームの終了と同時にダッシュだなこりゃ。
担任教師がホームルームの終了を告げ、クラス委員長が起立、礼、と言った所でミッションスタートだ。鞄を掴むとドアに向かい一目散。勝利を確信し、引き戸を開いた瞬間、
「あんた、何やってんのよ」
視線を上げた俺に巫部が仁王立ちで睨みを効かせていた。
「……」
何だ? 何が起こったんだ? 確かに俺はクラスの誰よりも早くドアに到達した。だが何故巫部が目の前にいるんだ? 未だ呆けている俺のネクタイを掴むと、弾んだような声で廊下を歩き出した。
「さあ、行きましょう」
「あっ、あのちょっと……」
「なによ」
「いっ、いやあ、ちょっと俺、今日は用事があるんだけどなあ」
「へー、で?」
「で、とは?」
「で、何なのよ。私が会話をしてあげてるのよ。ありがたく思いなさい。さあ、行くわよ」
「ちょっ、ちょっと待てよ」
俺の声なんか完璧にシカトし、理不尽さ全開で廊下を歩いていく巫部とその後を犬かなにかのようにネクタイを引っ張られながら歩かされているのだが、なんの罰ゲームなんだよ。一体。
無言のまま、どこかの空き教室らしき所に俺を押し込めた巫部は、
「さっ、いきなりもう一つの世界を探すって言ってもどんなものかわからないわよね。今日は私がみっちり教えてあげる。さあ座った座った」
そう言うと巫部はポケットから取り出した眼鏡を掛けながら腕まくりし、俺に向き直るのだが、何故に眼鏡?
「この方が気分出るでしょ。私女教師って響きに憧れているのよねえ。なんかそそられるものがない?」
断言するが、まったくもってない。
「ほら! ウジウジ考えてないでさっさと座りなさい! もう、何回も言わせないの」
これまたどこから取り出したか分からない差棒を俺につきつけるのだが、何で俺がこんな痛い奴の言うことを聞かなけりゃならないんだ。本気もんのアホの子だなこいつは。
俺の同情なんて、甚だ感づいていない巫部は肩越しに俺の後に視線を向け、
「そんな訳でいい? 夕凪さん」
「はい、いいですよ」
まるで麻衣がここにいるかのように話しかけるが、何言ってんだ? 咄嗟に振り向くと、麻衣がにこやかな笑顔で立っていた。って、何で麻衣がここにいるんだよ!
「もう、急に教室を飛び出して行くんだもん、ビックリしちゃったよ」
いつものおっとりした表情で言葉を発する麻衣なのだが、何故この子はこの状況を受入れているのだろうか。
「これで役者は揃ったわね。じゃあ、早速授業を開始するわね」
教壇に立つ巫部と律儀に机についている俺と麻衣という言う摩訶不思議な構図なのだが、何故俺たちはこんな先生と生徒ごっこに付き合わされているのだろうか。その答えは簡単だ。ここで断ろうものなら永久磁石並みのしぶとさでこいつは俺たちに付きまとう事相違ない。ならばここで少しでもそのリスクを回避しなければならないと考えるのはおかしな事じゃないだろ?
そんな憤怒、落胆、呆然、その他全ての感覚を通り越してほぼ無の境地にたどり着いた俺に向かい、こちらは対照的に絶対的なやる気満々な様子の巫部は勢い良く黒板にこんな文字を書き始めた。
「Meny Worlds Interpretation」
どうでもいいが、筆圧が強すぎでチョークが折れまくってるぞ。
「あんたは、エヴァレットの多世界解釈という現象を知ってる?」
振り向いた巫部は俺に対し差棒をビシっと突きつける。
「多世界解釈?」
「まあ、あんたのようなアンポンタンには分からないかもね。いい? 多世界解釈とは、世界は可能性の数だけ平行して存在し、それが次々と枝分かれしていくという考え方よ。もし電子がどこかで発見される可能性の波であったのなら、その可能性の分だけそれぞれの世界がある。つまり、ある地点における電子の観測者と別地点の電子観測者は、別々の世界で別々の電子を観測する人になるという事なのよ」
「ちょっと待て」
「なによ」
「言っている意味がわからんのだが」
「はあ? こんなのは量子力学の基礎中の基礎でしょ。なんでわからないのよ。これだから最近の若者は学力低下が懸念されてるのよ」
心底落胆したかのように肩を落としているが、お前は俺と同じ学年の若者じゃないのか。それに量子力学だって? 言葉のイメージでそこはかとなく物理ちっくな話だし俺にとっては高等すぎて異世界の呪文のようにしか聞こえないぜ。まだ、般若心経を空で暗記した方が有意義ってもんだ。
担任教師がホームルームの終了を告げ、クラス委員長が起立、礼、と言った所でミッションスタートだ。鞄を掴むとドアに向かい一目散。勝利を確信し、引き戸を開いた瞬間、
「あんた、何やってんのよ」
視線を上げた俺に巫部が仁王立ちで睨みを効かせていた。
「……」
何だ? 何が起こったんだ? 確かに俺はクラスの誰よりも早くドアに到達した。だが何故巫部が目の前にいるんだ? 未だ呆けている俺のネクタイを掴むと、弾んだような声で廊下を歩き出した。
「さあ、行きましょう」
「あっ、あのちょっと……」
「なによ」
「いっ、いやあ、ちょっと俺、今日は用事があるんだけどなあ」
「へー、で?」
「で、とは?」
「で、何なのよ。私が会話をしてあげてるのよ。ありがたく思いなさい。さあ、行くわよ」
「ちょっ、ちょっと待てよ」
俺の声なんか完璧にシカトし、理不尽さ全開で廊下を歩いていく巫部とその後を犬かなにかのようにネクタイを引っ張られながら歩かされているのだが、なんの罰ゲームなんだよ。一体。
無言のまま、どこかの空き教室らしき所に俺を押し込めた巫部は、
「さっ、いきなりもう一つの世界を探すって言ってもどんなものかわからないわよね。今日は私がみっちり教えてあげる。さあ座った座った」
そう言うと巫部はポケットから取り出した眼鏡を掛けながら腕まくりし、俺に向き直るのだが、何故に眼鏡?
「この方が気分出るでしょ。私女教師って響きに憧れているのよねえ。なんかそそられるものがない?」
断言するが、まったくもってない。
「ほら! ウジウジ考えてないでさっさと座りなさい! もう、何回も言わせないの」
これまたどこから取り出したか分からない差棒を俺につきつけるのだが、何で俺がこんな痛い奴の言うことを聞かなけりゃならないんだ。本気もんのアホの子だなこいつは。
俺の同情なんて、甚だ感づいていない巫部は肩越しに俺の後に視線を向け、
「そんな訳でいい? 夕凪さん」
「はい、いいですよ」
まるで麻衣がここにいるかのように話しかけるが、何言ってんだ? 咄嗟に振り向くと、麻衣がにこやかな笑顔で立っていた。って、何で麻衣がここにいるんだよ!
「もう、急に教室を飛び出して行くんだもん、ビックリしちゃったよ」
いつものおっとりした表情で言葉を発する麻衣なのだが、何故この子はこの状況を受入れているのだろうか。
「これで役者は揃ったわね。じゃあ、早速授業を開始するわね」
教壇に立つ巫部と律儀に机についている俺と麻衣という言う摩訶不思議な構図なのだが、何故俺たちはこんな先生と生徒ごっこに付き合わされているのだろうか。その答えは簡単だ。ここで断ろうものなら永久磁石並みのしぶとさでこいつは俺たちに付きまとう事相違ない。ならばここで少しでもそのリスクを回避しなければならないと考えるのはおかしな事じゃないだろ?
そんな憤怒、落胆、呆然、その他全ての感覚を通り越してほぼ無の境地にたどり着いた俺に向かい、こちらは対照的に絶対的なやる気満々な様子の巫部は勢い良く黒板にこんな文字を書き始めた。
「Meny Worlds Interpretation」
どうでもいいが、筆圧が強すぎでチョークが折れまくってるぞ。
「あんたは、エヴァレットの多世界解釈という現象を知ってる?」
振り向いた巫部は俺に対し差棒をビシっと突きつける。
「多世界解釈?」
「まあ、あんたのようなアンポンタンには分からないかもね。いい? 多世界解釈とは、世界は可能性の数だけ平行して存在し、それが次々と枝分かれしていくという考え方よ。もし電子がどこかで発見される可能性の波であったのなら、その可能性の分だけそれぞれの世界がある。つまり、ある地点における電子の観測者と別地点の電子観測者は、別々の世界で別々の電子を観測する人になるという事なのよ」
「ちょっと待て」
「なによ」
「言っている意味がわからんのだが」
「はあ? こんなのは量子力学の基礎中の基礎でしょ。なんでわからないのよ。これだから最近の若者は学力低下が懸念されてるのよ」
心底落胆したかのように肩を落としているが、お前は俺と同じ学年の若者じゃないのか。それに量子力学だって? 言葉のイメージでそこはかとなく物理ちっくな話だし俺にとっては高等すぎて異世界の呪文のようにしか聞こえないぜ。まだ、般若心経を空で暗記した方が有意義ってもんだ。

