ちょっと待て。もう一つの世界だなんて、こいつは何を言ってんだ?
 俺がどうやって、この痛々しい同級生の呪縛から逃れようか必死になって考えていると、予鈴っぽい音に女子生徒は一瞬立ち止まり、
「あっ、チャイムが鳴っちゃった。もうすぐ入学式が始まるわね。じゃあ、いい? 今日の放課後からもう一つの世界を探しに行くわよ!」
 そんあな様なことを言うと同時に手を振りながら校舎へと向かい歩き出した。その後姿を呆けた顔で眺めることしかできない俺と麻衣。なんか、入学早々に厄介な事象に巻き込まれちまったぞ。
 なんてことを思いながら、つつがなく高校に入って初めての儀式(入学式という睡魔との戦いだ)を終え往年の軍隊よろしく一列になりながら教室へと戻ってきた。初日は席が自由らしく窓際の特等席を早々にゲットした俺は、校庭を見下ろしながら一息ついてみる。
 しかし、今朝の話はとんでもなく意味不明な事だよな。もう一つの世界だなんて誰が信じるってんだ。ここはアニメや小説の世界じゃないっつうの。などと入学式前のハプニングに思慮していると、
「あれ? あんた」不意に声が浴びせられた。
「まさか同じクラスだったとはね。ちょうどいいわ。もう一つの世界を探しに行きましょう」
「おいおい、さっきも言ったろ? まったくもって意味がわからないんだが」
「あら? それこそ朝言ったでしょ。意味なんて後からついてくるんだから。今はいいのよ。わからなくても」
 なんの戸惑いもなく再び意味不明な電波話が炸裂しやがった。
「さあ、今日の放課後から探しまくるわよ」
「やなこった。なんで俺がお前に協力せにゃならんのだ」
「何言ってるの。あんたはこの私が認めた人材なのよ。つべこべ言わずに従えばいいの」
 目を輝かせながら俺に言葉を吐きかえるが、何故、俺?
「なーんか。あんたとは初めて会ったような気がしないのよね。実は前に出会ったことがあるとか? そうなれば運命的よねえ」
 なんとなく、あっちの世界にトリップしているような気がするが、ここは華麗にスルーが吉と見た。
 電波女の話を右耳から左耳に流しながら、頬杖をつき、窓の外を見つめていると、
「ちゃんと聞いているの?」
 いてて、耳を引っ張るな。しかもお前の大声で耳鳴りがするだろ。
「この私が話をしてあげてるのよ。ありがたく思いなさい」
 両手を腰に宛がい、無い胸を張りながら俺を見下ろしてくるが、何なんだこいつは。
 俺が反論をしようと席を立つと、担任教師が小走りでやってきてこの学校最初のホームルームが始まるのであった。ちきしょう。入学早々こんな奴に関わっちまうなんて、俺の高校生活はどうなっちまうってんだ?
 
 まあ、そんな事に辟易としている場合ではない。ホームルームということは入学式後のお約束、自己紹介などというこれまた忌々しき儀式があるものと相場が決まっており、俺も若干どもりながらそのミッションを見事にこなした訳なのだが、安堵を醸し出している俺の後で、教室を一瞬で凍りつかせた奴がいたのは想像に容易いだろ? そこで判明したことは、あの電波野郎は巫部凜かんなぎりんという名前らしい。字が難しいと、ご丁寧に黒板に書きやがった。ついでに朝聞いたようなとてつもなく痛い事を言っていたが、忘れた方が懸命だろうな。
 
 若干のトラブルはあったものの、初日の行事は入学式のみらしい。ホームルームが終わると今日の工程は終了だ。巫部とか言う痛い奴が何か言っていたが、今日はソッコーで帰っちまおう。


 翌日。入学初日よりは通学も幾分落ち着き、ややのんびり目に麻衣と田んぼ道を歩いていると、
「我々は知らないだけなの。もう一つの世界はきっとあります。私と一緒に探しにいきましょう」
 なんとなく聞き覚えのある声が耳に入った。どうしてだろう、昨日もこんな会話を聞いたような気がするな。
 その声が発せられる方向を見てしまうと災いが降りかかりそうなスメルがプンプンと感じられるので、ここはああえてシカトしてだな。俺は、その呪文のような言葉を極力耳に入れないように麻衣と二人昇降口へと向かうが、不意にその足が止まることとなってしまった。はて、何故俺は前に進む事ができないのだろうか。
 首だけを捻って後を確認すると、案の定巫部凜がにこやかな顔で俺と麻衣の肩をがっちりとつかんでいた。
「おい、何やってんだ」
「あんた昨日逃げたでしょう」
 ここで動揺してはダメだ。毅然とした態度を保たないとな。そう重いながらも巫部は笑顔のまま俺に語りかけるが、笑顔のままっていうのが若干怖いぞ。
「さて、何のことでしょうか」
「だから、昨日の事よ。放課後にもう一つの世界を探しに行くってこと。まさか、忘れた訳じゃないでしょうね」
「おいおい、あれって本気だったのか? てっきり冗談かと思った」
「冗談な訳ないでしょう。まあいいわ。今日は気分がいいから特別に見逃してあげる。いい、これっきりだからね」
 腰に左手を宛がい、右手の人差し指をビシっと俺につきつけるが、人を指差すな。
「じゃ、今日の放課後からとことんいくわよ。覚悟しておきなさい」
 最後に何やら怪しげなスマイルを一つだして巫部は校舎へと向かい闊歩していった。
「……はあ、昨日の話ってマジな事だったのか?」
「そうだねえ、本気っぽいよね」
「せっかく高校生になって、楽しそうな学園生活を心待ちにしてたんだけどなあ、なんかとんでもない事に巻き込まれたよな」
「そう? でもいいじゃない。入学早々お友達ができたんだから」
 この子はなんてお気楽なんだよ、まったく。なんとなくこの状況って、「お友達と楽しく高校生活」ってよりも、ちょっと痛そうな奴に絡まれてカツアゲされている気分っぽいのは気のせいなのだろうか。
 午前中の授業とやらが終わり、昼休みが終わっても俺の気分は優れない。そりゃそうだろ、入学式前に女子から話しかけられるなんてことはこの上なく歓迎すべき事柄なのだが、それが、バラ色の情事ではなく、どちらかと言うと南米あたりで咲いてそうな毒々しい不吉な花の色の事情だったとはな。しかもあんな話だろ? まったくもって意味がわからん。これから俺はどうしたらいいのか、頬杖をつきながら、窓の外を見つめ暗澹たる気分を増幅させずにはいられなかった。ああ、このまま放課後が来なければいいのにな。