しかし、何だ。春の休みというのはこんなにも短いもんなんだな。重力加速機に入った素粒子のようにあっという間に目の前を通過してしまい、本日より新たな生活が始まるという訳だ。などと感想とも言えない陳腐な想いを抱きつつ学校へ向かい、駅から学び舎へと続く田んぼ道を二人で歩いていると、横を歩く幼馴染が不意に口を開いた。
「ねえ、蘭。同じクラスだといいね」
「その呼び方はやめろって言ってるだろ」
 ちなみに蘭とはおれのあだ名らしい。もっとも、今は麻衣しかこの呼び方はしていないがな。
「いいじゃない。もうこの呼び方に慣れちゃったんだもん。今更他の呼び方できないよ」
「なんだっていいだろ? 名前でもさ。何でよりにもよってそれなんだよ」
「何よー。昔は蘭子ちゃんなんて呼ばれてたくせに」
「だあ、そっちの呼び方はもっとやめろって言ってるだろ。なら、もう蘭で構わん」
「小学校の頃は女の子みたいな格好ばっかりしてたくせに」
「それは小一か小二の頃の話だろうが、いとこのお古だから仕方ないだろ。トラウマを思いださせないでくれ。それにこの街に帰ってきた時は普通だっただろ」
「はいはいそうね。ずっと入院していた病弱な蘭子ちゃん」
「だから、それは違うって何度も言ってんだろ。あれば病気じゃない。怪我だ」
「もう、ずっとその言い訳ばっかり。わかったわよ。じゃあ、そういうことにしていておげる」
「まったくもって納得がいかないのだが」
「あっ、クラス分けが掲示されてるよ。ねえねえ、どうなってる?」
 いつのまにやら校門前まできていたらしい。何かに夢中になると時の経つのは早いというが、駅を降りた俺たちは、何の感慨もなくここまで来てしまった。
 さっきまでのからかいモードが嘘のようにご機嫌になった麻衣はクラス分けボードを一組の方から確認し始めると、
「あっ、あったよ。で、私は……っと、あっ、同じクラスだよ」
 振り返って微笑むが、やっぱ普通に見るとカワイイ部類なのかなあ。中学の時も結構モテてたらしいからな。
 
 そんなたわいも無い、いかにも高校生然たる会話をしながら校舎へと向かって歩を進めた。
 
 まあ、一般的に言って新しい年度が始まるとなると、部活動やらなんやらの勧誘合戦が始まるものと相場が決まっている。昇降口付近には何かの部活か同好会のどちらかと思われる女子生徒がメガホンで必死に叫んでいるじゃないか。こういう勧誘合戦は定番中の定番で、俺も漫画やアニメでそんなシチュエーションを何度か見たことがあったかと思う。
 いや、実際見た事があるのだが、その女生徒に視線を向けた俺は、
「…………」
 こんな無言しか口から発することはできなかった。なぜならば、俺をはじめとする周囲の学生は、皆一様に困惑した表情を浮かべているからだ。
 と、言うのも、今日が何の日かと言うと、制服の真新しい俺たちがこの学び舎でバラ色と思われる生活をスタートさせる日、すなわち入学式の日なのだからな。普通入学式の日に部活の勧誘なんかするか? そういうのは学校生活に慣れてきた頃にするもんじゃないのか。
「ねえ、もう勧誘の人がいるよ。高校ってすごいよね」
 隣ではしきりに麻衣が感動しているようだが、すごいって言うか入学式の当日に新入部員を勧誘するなんざ、よっぽど人気のない部活か今にも人数不足で廃部寸前のところだな。
「まあ、高校には色々な人がいんじゃないのか?」
 あまり興味を持てずそそくさと校舎へ向かおうとして振り返ると、
「……」
 麻衣が立ち止まっていた。
「どうした?」
「あっ、あのね。あの子」
 そう言ってしきりに何かを叫んでいる女子生徒を指さすと、いつもの、のほほんとした様子でとんでもないことを口にしやがった。
「あの子一年生だよ」
「はい? 何言ってんだよ。部活の勧誘をしてるってことは上級生に決まってるだろ」
「だって、見てよあのリボン。私のと同じ色だよ」
 麻衣の視線に沿うように女子生徒の胸元を見つめると、確かに麻衣と同じ青いリボンが春の風に揺らいでいるじゃないか。
「……」
 なにゆえにあの同級生と思われる女子生徒はこの日に勧誘をしているのだろうか。って言うか、まだ式典が始まっていないから、正確にはこの学校に入学していないだろ。
 そんなツッコミを心の中で入れていると、不意に女子生徒と目が合ってしまった。女子生徒は獲物を見つけた脊椎動物のように、口角を吊り上げるとこちらに向かい大股で歩み寄って来るじゃないか。
 ヤバイ、なんとなくこんな奴と関わらない方がいいかもと、俺の第六の感が告げている。咄嗟に麻衣の手を取り校舎へ向かおうとするが、振り向いた俺の前には既に女子生徒がニヤケ顔でそこに居た。
「ねえ、あなたたち」
 女子生徒は両手を腰にあてがい口を開く。うららかな春の陽気に包まれて、これから訪れる高校生活に周辺と同様桜色の妄想を抱いていた俺は次の言葉で完全に頭の中が凍りつくこととなった。
 
「私と一緒にもうひとつの世界を探しにいかない?」

 何の恥ずかしさも感じられず意味不明な言葉を堂々と言い切りやがった。太陽の光が肩にかかる髪に反射し、まばゆい輝きを見せており、それが桜吹雪と相まって幻想的に思える。ああ、おれは入学式前に夢を見ているのか?
「ねえ、ちゃんと聞いてるの? もう一つの世なんて面白いと思わない?」
「えーっと、何を言っているのかわからないのですが」
 女子生徒は前かがみになりながら俺の顔を覗いてくるが、何言ってんだ? こいつ。
 周囲を見渡すと、他の新入生は俺たちを避けて通っており、遠くから冷ややかな目で見られまくっているじゃないか。
「だから、何度も言っているじゃない。私と一緒にもう一つの世界を探しましょうって」
 少しどころかとんでもなく痛い奴は腕を組んで堂々と胸を張っているが、何故えそんなに偉そうなんだ?
「いっ、いや、だから意味がわからないんだけど」
「意味なんて後からついてくるもんでしょ。今はわからなくていいの。そのうちきっと見つかるわよ」
 いやいや、本当に意味がわからない。
「ほら、あなたも」
 そう言って女子生徒は俺と麻衣の手を取り歩き出した。
「あっ、あのう、どこへ行くんですか?」
 まんざらでもなさそうな麻衣であるが、何故この状態で平静を装えるんだ?
「時間が惜しいのよ。こういうことはすぐに行動を起こさないと。今から探しにいくわよ」
「探すって何をですか?」
 麻衣の問いかけに立ち止まった女子生徒は、立ち止まり振り向くと、


「こんな退屈な世界じゃなくて、もっと楽しくって、幸せに満ち満ちているもう一つの世界をよ」

 
 校門脇に咲く桜に負けるとも劣らない笑顔で言い切りやがった。