女狐が笑う日は

突き刺さるような電子音で雪は目を覚ました。
随分昔の夢を見ていたようだ。あの後運よく人間に助けられ、今は人に化け「雪」という名前で
「人間」として生きているのだった。

「せっちゃん。御飯よぉ」
下でおばさんが呼んでいる。



あの時。
助けられたのはいいものの、これからどうすればいいのか路頭に迷っていたとき、偶然にも思い出した。
・・・最後に母さんが教えてくれたことを。

「いい?本当に将来困ったら人間に化けるの。」

「え・・?どうやって?」

「強く想うの。こうなりたいって。そうすればあなたは素直だから私が教えなくても化けられるようになるわ。」

「・・・どんな人に化けるの?」

「そうね・・齢14、5くらいの少女が手頃じゃないかしら。そのくらいの齢の方が周りの人間も
守ってくれるわ。少なくとも大人の人間になるよりは。」

「ふーん。」

「でもね、これだけは守って。絶対に人間に恋をしちゃだめ。もししてしまったらその人からその記憶を消して。いいわね。さもないとあなたは死んでしまうの。」

「ええー。人間って鯉食べちゃだめなのお?」

「ふふ・・恋よ。他人を愛するということ。まああなたにはまだ早いわ。もう遅いからお休みなさい。私の可愛いお姫様。」

・・・雪は化けた。必死だった。
そうして出会った。「人の好さそうな中年女性」。それがこの、「おばさん」だ。


「はい、すぐ行きます。」
一階に向かう急な狭い階段を軽い足取りで降りた。
人間の言葉は母さんに教えてもらっていたからすぐ話せたし、おばさんには記憶喪失ということにして保護してもらっている。
おばさんはご主人と二人暮らしで、子宝に恵まれなかったそうなので、実の子供のように可愛がってもらっている。
味噌の香りがする。今日は何の味噌汁なのだろう。
雪は今の生活を俗に幸せと呼ぶことを知っているのだった。
学校にも通えて、少ないながらも友達といえる存在もいる。暖かい家庭があり、食事に困ることもない。
「せっちゃん、今日はお揚げのお味噌汁なの。せっちゃんも好きでしょ?」
油揚げは雪の大好物だ。耳や尻尾が出てしまわないように、注意して席に着く。
「・・今日も思い出せないの?」
おばさんが悲しそうに顔をゆがませて尋ねる。
「ええ。まだ記憶が戻らないのです。もう少し、お世話になります。」
雪はおばさんに嘘をついていることが心苦しかった。
自分が狐だということを知ったら、おばさんは怒るだろうか、悲しむだろうか・・それとも・・。
嫌な妄想が脳裏をよぎり、目頭が熱くなってくる。
慌ててお椀を持ち、ご飯を掻っ込んだ。
「私はいいのよ。せっちゃんといたほうが楽しいし。でもお母様が心配なさるんじゃない?」
「母」という単語をきき、あの時のことを思い出す。熱くなりだした目頭から、涙が溢れ出す。
「どうしたの?どこか痛いの?」
おばさんの顔がみるみるうちに泣きそうになっていく。

「いや・・何でもありません・・。ちょっと疲れてるみたいで。何もなくても涙が出ることがあるんです。」
雪は涙声を隠して言った。
「あらそうなの?あなたが泣き出すから私まで泣いちゃった。あまりひどいようなら言いなさいね。病院に連れてってあげるから。」
言い訳は苦しいながらも通った。
「ありがとうございます。」
雪は隠した気持ちごと残った味噌汁を飲み込んだ。
泣いたせいかいつもよりしょっぱく感じる。
そして味噌汁椀を机上に置く。
「私、そろそろ行きますね。ご馳走様です。」
雪はやおら立ち上がり、二階の自室へと向かった。
何度食べてもおばさんとの食事は慣れない。
激しい疲労感が雪を襲った。部屋にある古めかしい姿見で自分の姿を見る。
___________ああ、やっぱり・・・。
そこに映っているのは尻尾がはえ、狐の耳を持った、異常な程目つきの悪い少女が立っていた。
雪も人間ではない。
油断すると狐の姿になってしまう。
雪は疲労した身体を駆使し、耳と尻尾を引っ込めた。
思わず溜息が出る。
深く息を吐くと、少し楽になった。
そうして着替えると、重い鞄を持ち、またあの狭い階段を下りた。