言語はさらに酷かった。

人とのコミュニケーションを取るにあたり、言語は大きな役割を担っていたことを思い知った。

聞き取りづらい発声。会話の途中ですぐ息切れを起こす。
1度では理解してもらえない言語は、また同じ内容を繰り返すというのが億劫で…そしてまた伝わらないかもという締観もあり、徐々に僕から話す意欲を奪っていった。

それに…話そうとしている内容が、うまくまとめられない。話の途中で"あれ、なに話したかったんだっけ?"となり、会話もうやむやになってしまうことも多かった。

イメージしている自分と実際の自分との相違が…その差が、より顕著に僕に突きつけられた。

病気をしてしばらく立つが、いつのまにか『これは夢だ』という感覚は小さくなっていた。認めなければならない現実が、いつまでたっても覚めない夢を見続ける僕をゆっくりと覚醒させていったのだ。


…自立生活センターに通っている時、様々な障害を背負った人を見た。

障害を抱えて生きている事を、ハンディキャップだとは考えずに、皆前向きに生きていた。

その人達はどんな障害を抱えているか詳しく知れなかったが、僕はひねくれた考えをもって日々を送っていた。


"どうせ僕は一種一級なんだ"と。