病気になってから、家族と過ごす時間が増えた。
…と言っても大学も自宅から通っていて、顔は合わせていたから、その時間が増えただけだが。

僕が今より少しでも良くなるように、と両親は色々な所を巡ってくれた。常に通っているリハビリセンターの他に自立生活センター、障害者支援施設と、僕をそういう施設に通わせる事で、一週間を埋めてくれた。

『障害者』支援施設。
この文字を見るたびに、『あぁ自分は障害者、なんだな』と思った。重い十字架を背負う事になったんだな、と。

僕の背負った十字架の名は"解離性脳梗塞"。

簡単にしかわからないが、脳の血管の壁が剥がれ落ちて、それが血流を詰まらせてしまう病気らしい。
前兆はあったみたいで、この病気になる1週間程前から、自分の部屋の窓から外に吐いたような跡が地面に残っていたらしい。

詰まってしまった位置が悪く、僕の障害は右半身の麻痺と左半身に多少の麻痺、そして言語障害が残った。

これまで一般人と同じように動かしていた手足が、"自分のものではないような感覚"を抱いたのは、すぐだった。

自分の中での"健常者"の頃の記憶は曖昧だが残っていて、どんな行動をするときでも"右手右足が普通に動く"という先入観がある。
が、脳から動けという指令が出ても、その指令は上半身は肩から腕、下半身も太ももから膝で止まっているみたい。途中で寸断されてしまう感じ。

全身に震えがあるが左半身はまだ動かせるのに対して、右半身には指令が先まで行き渡らない。

例えば後ろ手で手のひらに、誰かに何か指文字を書いてもらった時、左手のひらは大体何を書かれているか、手のひらの感触から何となくわかるが、右手のひらだと何をされているのかもわからないのだ。『触れられている』という感覚はわかるのだが、それのみだった。