肌身離さずケータイを触り誰もが俯くようになった世の中は、術師に操られるマリオネットを見ているようだ。


廻りでは"携帯電話"の魔手が蔓延っている。皆、視線が液晶の小さな画面上に貼り付いている。ケータイに触れていないと世の中の流れについていけないかのように。

僕は傍観している。

いや、取り残されている、が正しい。ITに関する知識が全く進歩していない感じ。ケータイもそれと同じく、僕の知っている所からどんどん進化している。


もともと機械に疎い僕だが、余計にわからなくなり、時代から置いてけぼりをくったような、そんな感じがする。


だから僕は今、ケータイを持っていない。

最初のは、負け惜しみに近い。

世の中に取り残され、原人化してゆく感覚が消えないので、どうせついていけないのなら持っていなくとも同じだろう、とのある種投げ遣りな感情があっての、現状。

ケータイから解放されている今は、逆に清々しい。

ケータイのフェイスブックやツイッターによって、自分の状況を伝える事で、他人の状況を見る事で、安心感を得る。


そんな"束縛"された状況から、僕は解き放たれたのだ


…と、それを誤魔化していると感じる自分が一割いることを、実はわかっている。


本当は気になっていた。

ケータイには誰かから何かしらの連絡があるのではないか。

その何かしらの連絡は、重大なものなのではないか。


解放感の内に、ある種の期待を意図的に抱き、それをわざと押し殺している、という事を自覚しながら、リハビリを続ける僕だった。