人からどう思われていようと全く気にもしなかった自分から、逆にどう思われてるかばかり気にしてオドオドしてる自分になったのは、単に弱気な自分が還ってきただけなのだろうか。

…いや、もしかしたら違うんじゃないか。

優先するべき事はなにか、とそう考える事のできる自己が確立してきただけなのかも知れない。

優先順位がはっきりと打ち立てられ、他人を尊重して生きる自分へと変化していけたのかも知れない。

結果、人からの評価を臆病な程気にするようになったのかも知れない。


…ここまで考えた所で、僕は自室で一人、自分で自分に苦笑した。

それは自分を持ち上げすぎ。

最近高揚した気分が続くからか、こんな上昇思考が目立つ。

そう思いながら、東野圭吾を読み進めるのを再開した。

何回も読んでいる本だが、頭に入っていってる気が、相変わらずしなかった。

ただ、その"何回も読む時間"は自分の特権だと、そう思うようになった。

──…こういう考え方の変化が、僕には重要なのかも…。
自分じゃない誰かの為に頑張る事とは、優先すべきものは他人の気持ちと考えれる事と同義だ。

そこには、"自分は1人ではない"という前向きな自信も、付随しているのだろう。

油蝉の喧しく騒ぐ夏、網戸越しの窓から入った風が、以前の配達業のバイトをしていた時の社員たちがくれた千羽鶴を揺らす。まるで静かに、自分に同調してくれているかのように、微かな音をたてていた。