"人から何をどう理解して欲しいのか"

その明確な答えは僕自身もわからなかった。

ただ心の糧が必要だった。


"どんな物事にも原因があって結果がある"

そんな言葉が嫌いだった。
物事を理路整然と並べ立て、綺麗に整頓させる術を、僕は持ち合わせていなかった。

これは病気になったから、という理由じゃない。元来の僕がそうなのだ。そういう人もゴマンといるだろうが、僕の部屋は特に汚かった。

会話の抽斗は開けたらそのまんまで、全部外に放り出てしまっている。必要な時必要な物を取り出す事が出来ず、弱い僕は何か傷付きそうな気配を察知すると、すぐに逃げ場所となっている押し入れに避難する。

原因も結果もバラバラなままの自分の部屋でも、"それも個性だよ"と優しげな声が押し入れから僕を出してくれたから、僕はこの世で生きれこられたのだ、と考えるのは大仰すぎる言い回しだろうか。

だが、"ゆい"の存在に、僕は救われていたのは確かなのだ。

周りで幸せになっていく友達"だった人たち"、自然と耳に入ってくる世の中の幸せな"声"。

それらの一切合切をシャットアウトし、自らの世界に浸り続けるのを、"ゆい"が助長してくれている気がしていた。