309.5号室の海



「星野、」


……とか言っても、向こうは私のことなんて”お隣さん”としか思ってない。まだ数回しか話したこともない。


「星野。おい」


たまたま会ったときの挨拶以外で話すきっかけとかあれば、もう少し近付けるかもしれないけど……そう簡単にいったら苦労しない。


「星野ー。……コラ!まだ寝てんのかお前は!」

「わっ!な、なに!?」

「なに、じゃねえ!そんなに俺に名前呼んでほしいのかよ!?」

「はあ?なに言ってんの滝本」


肩をポンっと叩いてきたのは、会社の同期の滝本尚也(たきもとなおや)だった。

滝本とは入社以来ずっと、いい友達だ。
たまに一緒にご飯に行ったり、仕事の相談を聞いてもらったり、何かとお世話にもなっている。


「なにぼーっとしてんだ。あ?あれか?なんか悩み事か?」

「んーん…。悩み事っていうか、恋煩い?」

「こっ………!?」


ぎょっとした様子で私の顔をまじまじと見て、信じられないというように首を左右に振った。


「しばらく男の影がないと思ってたら…。ややこしいのに捕まってんじゃねえだろうな?」

「捕まるとかそういう段階ですらないの。あー…心臓かゆい」


わざとらしくため息をついて、目の前にあるパソコンの画面を睨みつける。一旦中断しようと、作りかけの資料のデータを保存した。