明日へ馳せる思い出のカケラ

 俺は反射的に彼女のジャージのチャックを下ろし、Tシャツ越しに耳を胸に押し当てた。
 もちろん心臓の鼓動を確認するのを目的として。

 しかしここでも彼女の反応を確かめることが出来なかった。そしてそれ以上に俺は彼女の体の冷たさに萎縮してしまう。とても人の体とは思えない。無機質な感触に俺は肝から震えてしまった。

「落ち着け、落ち着くんだ!」

 自分に言い聞かせるよう俺は強く叫んだ。内側から押しつぶされそうになる重圧を吐き出すかの様に。

 心肺蘇生は時間が命綱だ。彼女が倒れてからは、まだそれほど経っていないはず。きっとまだ間に合うはずなんだ。俺は自分の上着を脱ぎ捨てると、隣で棒立ちになっていた君に向かって大きく声を張り上げた。

「これから人工呼吸と心臓マッサージをします。いいですね!」

 同意を促す口調で叫んだ俺に対し、君は無言で頷く。ただその姿に俺は少しだけ頼もしさを感じた。

 もしこのまま彼女の意識が戻らなくても、決して俺に責任はない。
 でも救えなかったという罪悪感と彼女の冷たい触感は深く心に刻まれてしまうだろう。

 そんな怖さ、俺一人に耐えられるはずがない。だから俺は君に同意を促し、命を背負う覚悟を共有したかったんだ。

 こんな緊迫した場面だというのに、俺は随分と姑息な考えに頭が回るもんだ。でもそんな俺の浅ましい考えなど知る由も無い君は、純粋に彼女を救いたいが為に強く頷いたんだ。

 そんな心優しい君に俺は決まりが悪く恥ずかしさを覚えた。でもそれ以上に勇気をもらったんだ。
 何の根拠も無い。けど君が見守っていてくれるのなら、絶対彼女を救えるはずだと自分を信じれたんだ。

 気道を確保するよう彼女のアゴを少し持ち上げてから指で鼻を摘む。そして俺はためらう事なく彼女の口に自分の口を重ねた。

 最大限に広げた俺の口は、彼女の口を完全に覆ったはずだ。そのままの姿勢でゆっくりと息を吹き込んでゆく。するとそれと同時に彼女の胸が大きく膨らむのが体感出来た。

 人口呼吸としてのやり方は間違っていない。そう納得した俺は、摘んでいた鼻から一旦指を離し彼女の反応を確かめる。
 ただ人工呼吸は二度息を吹き込むのが1セットだったことを思い出し、再び鼻を塞いで息を吹き込んだ。

「どうだ、やっぱこれだけじゃダメなのか」

 いつしか俺の額からは滝の様な汗が流れ落ちていた。だがそんなものに構っている暇は無い。次は心臓マッサージの番だ。

 君に彼女の足を持ってもらい、俺は上半身を支えながらその力の抜けた体を砂場の外に運び出す。柔らかい砂の上では効果的な心臓マッサージが出来ない事も思い出したんだ。

 彼女をあお向けに寝かせると、すぐにミゾオチの窪みを探し出す。そしてそこに右手の中指を置くと、その横に人指し指を添えた。

「たぶん、ここで良いはずだ」

 祈りにも近い思いで絞り出す様に声を吐き出す。こんな事になるなら、もっと真面目にビデオを見ていれば良かった。でも後悔するのは今じゃない。俺が今するべきは彼女の蘇生なんだ。

 折れそうになる心を必死に駆り立てる。どちらかというとネガティブな俺にとって、それはある意味死ぬよりも辛い事だった。
 だけどもう覚悟は決めたはず。ヒジを真っ直ぐに伸ばした姿勢を取り、先刻人差し指で確認した位置に手の平の根元を置く。よし、後は力一杯胸を押し込めば良いはずだ。
 ――そう思った瞬間、俺の肩に何かが接触する感覚が伝わった。