明日へ馳せる思い出のカケラ

 昨日と同様に、冷たい北風がグラウンドを強く吹きさらしていた。
 率直な予想として、この環境じゃ好タイムは望めそうにない。気温の低さは然程問題ないけど、風があまりにも強すぎる。これじゃ短距離競技なんて参考記録にしかならないだろう。
 決勝レース開始の1時間前、俺は軽めのウォーミングアップをしながらそんな事を考えていた。

 いつもの様に携帯型オーディオプレイヤーを懐のポケットに仕舞い込み、イヤホンで音楽を聞きながら少し汗ばむ程度に体を動かす。
 昨日は自分でも驚くほど平常心を保っていたというのに、さすがにここまで来ると緊張感で吐き気すら覚えるほどだ。
 接地感の乏しい足元は、まるで他人のものなんじゃないかって思えるほどに神経が通わない。

「参ったな。これじゃ風が強いとか愚痴る以前に、レースにならないぞ……」

 俺は湧き上がる焦りを必死に押し殺そうと奥歯を噛みしめた。逃げ出したくなる心の弱さを抑えつける事で精一杯だったんだ。
 でもここは決戦の舞台なんだよね。ひ弱で及び腰の俺みたいな奴に気を遣う他人なんているはずがない。いやむしろ相手を蹴落とす勢いの連中ばかりなんだ。
 だったらもう腹を括ってやるしかない。あとは自分自身で立ち向かうしかないんだから。

 強がりで必死に自分を駆り立てる。でもそれ以上に俺の目に映る現実は、残酷にも厳しいものだったんだ。

 まだ足慣らしの時間だというのに、考えられないスピードで俺を颯爽と追い越してゆく同種目出場の選手達。その姿がより一層俺の心を暗く淀ませていったんだ。

 午後に実施される五千メートル走と並び、俺の出場する1万メートル走は各大学の有力選手が終結するクラスになっている。だから当然この種目は各大学のエース級がずらりと並んでいたんだ。
 その中にはテレビで見たことがある、箱根駅伝出場選手の顔も複数見受けられる。優勝候補はもちろんそんな箱根でも力走した選手達だろう。そして間違いなくこの中にいる者達の中には、今度の箱根で活躍する選手がいるはずなんだ。

 あまりに場違いな感覚に俺の心は萎縮する。でもそんな箱根の勇士達に混ざりながらも、黙々と走る一人の外国人選手に俺の目は釘付けになってしまった。

 屈強な漆黒の肉体が飛ぶような早さで風を切り駆け抜けて行く。そう、昨日1500メートル走の予選で圧倒的な勝利を収めた留学生の彼が、今日は俺と同じ1万メートル走にもエントリーされていたんだ。