明日へ馳せる思い出のカケラ

 マラソンにおける絶対的な経験量の差。いや、人生を積み上げてきた懐の大きさの違いなのかも知れない。
 ただ俺は冷静に状況を楽しんでいるおじさんとは違い、闇雲に気持ちを波立たせる事しか出来なかったんだ。
 そしてそんな苛立ちを隠しきれない俺が正規のスタートライン通過したのは、それからおよそ10分後の事だった。

「まったく、冗談じゃないぜ」

 俺は腕時計をにらみつけながらボヤく。

「クソっ。これじゃ本番で目標タイムを10分短縮するのと変わんねーじゃねぇかよ!」

 俺は心の中でそう悪態付いた。
 新しい人生をスタートさせようと意気込んだレースの出鼻を挫かれた事に、とても穏やかでなんかいられなかったんだ。

 でもこれは完全に俺の経験不足が露呈した結果なんだよね。いや、そもそも事前の知識が乏し過ぎたんだ。
 だってマラソンでのタイム計測は、ゼッケン裏に取り付けられたICタグが、スタート地点やゴール地点などのチェックポイントを通過した時間を記録するモンなんだよね。
 だけど俺はマラソン自体が初めてだったから、そんな事まったく知らなかったんだよ。単純にピストルが鳴った瞬間から、タイムは計測されるものと疑いもしなかったんだ。

 走り始めた俺は、出遅れた損失を取り戻そうと目を血走らる。しかしここでも俺の行く手を阻む障害が発生したんだ。

 人が多過ぎるんだ。やっと走るだけのスピードが出せるくらいになったんだけど、とても前を行く参加者達を抜き去るだけのスペースが見当たらない。
 無理やり追い抜こうとしたならば、他の選手との接触は間違いなく避けられないだろう。それに走るペースはまだまだ遅い。
 こんなんじゃ、ゴールタイムはどんどんと遅くなるばかりじゃないか。俺の中で膨れ上がる焦りばかりが加速度を増していく。

 こんな事ならキャプテンだった彼が、マラソン参加申し込み時に申告していた持ちタイムに従うべきだった。俺はここに来てそう後悔せずにはいられない。

 東京マラソンみたいな大きな大会では、スタートの進行をスムーズにするために、基本的には自己申告した持ちタイム、いわゆる自分が完走出来るであろうタイムに合わせて並んでいる。

 でも俺はバカ正直だから、自分の目標に合わせたスタート位置に並んでしまったんだ。
 ちなみに彼が申告した持ちタイムによるスタート位置は遥か前方に位置している。そこに並んでいたのならば、この密集した状況よりはずっと恵まれた環境だったはずなんだよね。

 俺は爪を噛むほどの忸怩たる思いに苛まれる。
 自分のバカさ加減が許せない。そんな感じにね。