明日へ馳せる思い出のカケラ

 グラウンドに併設された休憩所は、春のほがらかな日差しに包まれて穏やかだった。
 空気は少し冷たく感じるものの、風除けのフェンスに囲まれたこの場所は陽だまりになっていてすこぶる気持ちが良い。このまま昼寝でもたしなみたいくらいだ。ただろくに走ってもいないのに、やけにノドの渇きを感じた俺は自動販売機でスポーツドリンクを購入した。

「君も何か飲む?」

 そう聞き尋ねるも、君は笑顔のまま首を横に振った。特に遠慮している風には見えない。単に飲みたくないのだろう。

 ベンチに腰掛けた俺は、ペットボトルのキャップを外すと一気に半分近くまでスポーツドリンクを飲んだ。カラカラの喉に冷たい水分が浸透していく。たまらなく旨い。まさかスポーツドリンクで喉越しを感じるとは思わなかった。

 そんな驚きにも似た気分を味わう俺の隣に君は腰掛ける。休憩所にベンチは幾つもあったけど、まぁ俺と話しをする為なら直ぐ横に座るのが自然な成り行きだろう。ただ少し緊張した。君と改めて二人きりになった状況に、俺は少し慌てたんだ。

 何を話せばいいんだろう。何を聞けばいいんだろう。驚くほど頭には何も浮かばない。いつもの言い訳がましい姑息な知恵はどこに行ってしまったのか。
 再び喉の渇きを感じた俺はドリンクを口に含む。ただその時、意外にも先に話し始めたのは君の方だったんだ。

 表情を少し曇らせて君はつぶやいた。でも話の冒頭を聞いただけで、君の笑顔が消えた理由はすぐに分かったよ。病院に搬送された彼女の容体について。それが君の告げ出した話だったからね。

 正直、話しの重みに体がすくんだよ。命の尊さなんて、今までまともに考えた事無かったからね。
 俺は勉強も運動もこれと言って誇れるものは無かったけど、でも体だけは丈夫だったんだ。まして家族や友人にも亡くなった人なんて一人もいやしない。だから余計に健康について日頃から考えが希薄だったんだろう。そんな俺が初めて人の命というものに向き合ったんだ。気持ちが萎えないほうが、むしろおかしいはずだよね。

 俺の救命活動で彼女は息を吹き返した。でもその後しばらく昏睡状態が続いたらしい。ただそれでも昨日の夕刻に無事目を覚ました。

 命に別状は無い。それが医師の出した診断だった。けれど本質はそこじゃなかったんだ。彼女が一時呼吸停止に至ったのは、あくまで砂場を囲う硬い木枠に頭をぶつけた二次的な事故によるもの。重要なのはめまいを引き起こし転倒する原因となった持病についての方だったんだ。

 どうやら彼女は幼い頃から内臓に重い疾患を抱えていたらしい。病名は聞いた事がない上に、難しくて覚えられなかった。けどそのニュアンスからひどく重い病気なのだということは容易に想像することが出来た。

 もう彼女は飛べないだろう。いや、普段の生活にすら何らかの後遺症が残ってしまうらしい。君はつらそうに言ったね。聞いてる俺も切なくて胸が痛かったよ。

 練習に励む彼女の姿からは想像なんて出来やしない。けど現実は残酷なんだと痛烈に認識せざるを得ないんだよね。だって彼女がその病気を原因として生死の境をさまよったのは、覆しようのない事実なんだからさ。
 でも君は小さく告げたんだ。『いつかこんな日が来るんだと、覚悟していたんだ』ってね。