車が滑らかに減速しながら左へ寄って路肩に止まる。
彼はシートベルトを外すと、後部座席にあったBOXティッシュを私によこした。
「はいどうぞ」
「はい、どうも……」
「泣かせるつもりは無かったんだけどな」
「なんか、グズグズのズビズビのズルズルの彼女ですみません……」
「商売柄、鼻水なんてぜんぜんへっちゃらなので。それより、ティッシュを鼻に詰めるのは絶対にダメだからね。あれはけっこう粘膜を傷つけて――」
「わかってますから」
私だって、先生方が患者さんに言っているのを飽きるほど聞いているもの。
「ねえ、君は気づいてる?」
「はぇ?」
「君っていつも、ものすごく運転席寄りに座ってるの」
「ええっ、と……」
指摘されて確かめてみると、彼の言う通り。
「すごい寄ってますね……ぜんぜん考えたことなかったです」
こうして二人で車に乗っているとき、いつも彼のほうばかり見てるから、こんなに……。
「キープレフトならぬ、キープライト」
「ですね」
「僕は嬉しいけど」
彼はくすりと笑うと、私の唇にふわりと唇を重ねた。
やわらかくて、あたたかくて、優しいキス。
「同じ職場だと“うっかり名前呼び”問題はしばらく継続になってしまうけど――」
私の頭を撫でながら、彼が朗らかに笑う。
「みんなが不安なく気持ちよく働ける職場づくり、頑張ります」
「微力ながら、お手伝いします」
そうしてふたりで、顔を見合わせ笑い合う。
「さあ、帰ろうか」
「はい」
運転席の彼がシートベルトを締めなおす。
助手席の私は変わらず右寄りをキープする。
再び車が静かな夜に走り出す。
「そういえば、今日はお昼に患者さんが教えてくれたパン屋さんに行ってみたんだけど。パンだけじゃなくて、ちょっと変わったクッキーも売っているお店でさ」
「変わっているってどんな感じです?」
「野菜のクッキー。カボチャ、トマト、にんじん、ごぼう、しめじ、むらさき芋……そんな感じ?」
「すごい!」
「後ろにあるんだけど、届きそう? まあ、帰ってからゆっくり見ればって話なんだが」
気になって仕方のない私はシートベルトに阻まれながら可能な限り手を伸ばした。
「ギリ、大丈夫!」
手提げの紙袋の中を覗くと、種類ごとに可愛くラッピングされたクッキーたちが!
「わあ!野菜の色に合わせたリボンが結んであるんですね。かわいい」
「全種類買ってきたので、食べるの楽しみにしてて」
「魅惑の大人買いですね。少しずつ大事にいただきましょう?」
「そうだね」
降り積もるささやかな喜びが尊くて。
こんなふうに語り合える今が、心から幸せで愛おしい。
「秋彦さん」
「なんだろう?」
「チェロ、弾いて欲しいです」
だしぬけのお願いに、彼があからさまに鼻白む。
「そんなにおもしろいものじゃないと思うけど……」
もちろん、ここで引き下がるはずもなく。
「聞きたいです、ぜひ」
「君は強情なところがあるもんなぁ」
賢い彼は決して無益な争いはしないのだった。
「それじゃあ、今度の休日にでも。本当しばらく弾けていなくて下手くそになっているだろうから、ぜんぜん期待しないでおいて」
「わかりました。全力でぜんぜん期待しないでおきますね」
「本当にわかってるのかなぁ」
「もちろんですとも」
苦笑いする彼に、私は自信満々の笑みを返した。
彼はシートベルトを外すと、後部座席にあったBOXティッシュを私によこした。
「はいどうぞ」
「はい、どうも……」
「泣かせるつもりは無かったんだけどな」
「なんか、グズグズのズビズビのズルズルの彼女ですみません……」
「商売柄、鼻水なんてぜんぜんへっちゃらなので。それより、ティッシュを鼻に詰めるのは絶対にダメだからね。あれはけっこう粘膜を傷つけて――」
「わかってますから」
私だって、先生方が患者さんに言っているのを飽きるほど聞いているもの。
「ねえ、君は気づいてる?」
「はぇ?」
「君っていつも、ものすごく運転席寄りに座ってるの」
「ええっ、と……」
指摘されて確かめてみると、彼の言う通り。
「すごい寄ってますね……ぜんぜん考えたことなかったです」
こうして二人で車に乗っているとき、いつも彼のほうばかり見てるから、こんなに……。
「キープレフトならぬ、キープライト」
「ですね」
「僕は嬉しいけど」
彼はくすりと笑うと、私の唇にふわりと唇を重ねた。
やわらかくて、あたたかくて、優しいキス。
「同じ職場だと“うっかり名前呼び”問題はしばらく継続になってしまうけど――」
私の頭を撫でながら、彼が朗らかに笑う。
「みんなが不安なく気持ちよく働ける職場づくり、頑張ります」
「微力ながら、お手伝いします」
そうしてふたりで、顔を見合わせ笑い合う。
「さあ、帰ろうか」
「はい」
運転席の彼がシートベルトを締めなおす。
助手席の私は変わらず右寄りをキープする。
再び車が静かな夜に走り出す。
「そういえば、今日はお昼に患者さんが教えてくれたパン屋さんに行ってみたんだけど。パンだけじゃなくて、ちょっと変わったクッキーも売っているお店でさ」
「変わっているってどんな感じです?」
「野菜のクッキー。カボチャ、トマト、にんじん、ごぼう、しめじ、むらさき芋……そんな感じ?」
「すごい!」
「後ろにあるんだけど、届きそう? まあ、帰ってからゆっくり見ればって話なんだが」
気になって仕方のない私はシートベルトに阻まれながら可能な限り手を伸ばした。
「ギリ、大丈夫!」
手提げの紙袋の中を覗くと、種類ごとに可愛くラッピングされたクッキーたちが!
「わあ!野菜の色に合わせたリボンが結んであるんですね。かわいい」
「全種類買ってきたので、食べるの楽しみにしてて」
「魅惑の大人買いですね。少しずつ大事にいただきましょう?」
「そうだね」
降り積もるささやかな喜びが尊くて。
こんなふうに語り合える今が、心から幸せで愛おしい。
「秋彦さん」
「なんだろう?」
「チェロ、弾いて欲しいです」
だしぬけのお願いに、彼があからさまに鼻白む。
「そんなにおもしろいものじゃないと思うけど……」
もちろん、ここで引き下がるはずもなく。
「聞きたいです、ぜひ」
「君は強情なところがあるもんなぁ」
賢い彼は決して無益な争いはしないのだった。
「それじゃあ、今度の休日にでも。本当しばらく弾けていなくて下手くそになっているだろうから、ぜんぜん期待しないでおいて」
「わかりました。全力でぜんぜん期待しないでおきますね」
「本当にわかってるのかなぁ」
「もちろんですとも」
苦笑いする彼に、私は自信満々の笑みを返した。



