ようやく午後の診療がおわった。
いつもより患者さんが多かったわけでもないのに、とてもとても長い長い午後だった。
次々と皆が退勤するのをよそに、私はスタッフルームの片づけをしながら麗華先生を待った。
「キミ、行かなくていいの?」
「ぎゃっ」
気配もさせずに現れた貴志先生に露骨にびくり。
「失礼だな」
「すみません……」
「あのさ」
「な、なんでしょう?」
「麗華先生て、キミと保坂センセイのこと知ってたりするわけ?」
「ええっ」
(ど、どうしよう? 私、へんだった? 何かやらかしてた?)
「他のスタッフが知らない事情をキミだけは知っている。そしておそらく、麗華先生はキミが知っていると知っている。いや、麗華先生と保坂センセイがキミだけには情報共有をしたとか??? まあ、いずれそういうことなんじゃないかと。違う?」
「どうして、そんな……」
どぎまぎと視線をそらす私に、貴志先生が淡々と指摘する。
「なんとなくだよ。午後ずっと、麗華先生がキミのことを気遣っている感じがしたからさ。そういうことなのかなぁって」
さすが元ホスト?
すごい人間観察力というか、勘の良さというか。
これはもう逃れられないと思った。
誤魔化そうとしたら、芋づる式にいろんなぼろがでてしまいそうで。
(麗華先生と保阪兄弟が幼馴染というのは絶対に秘密だから)
ただ、だからといって「ああ、そうですよ。それが何か?」と言えるほど、度胸があるでもなくて……。
沈黙する私に貴志先生はさらりと言った。
「黙っている、否定しないってことは肯定したと解釈していいわけだ」
(ああもう、どうしていいかわからないし)
私が黙っていると、先生はさらに続けた。
「麗華先生が応援団だったとは。まあ、先生はキミのこと信頼して目をかけているもんな。キミは仕事ぶりも人柄も真面目だし」
「わ、私が麗華先生を頼りにさせていただいているんです。だからその……彼のことも相談したり、とか……」
ウソは言っていない。
みんなみんな本当のこと。
ただ、本当のことのすべては話していないだけで。
(麗華先生と秋彦さんのつながりがバレてはいけない。それは絶対にダメだから)
「ふーん」
「だから、麗華先生が気にかけてくださって。搬送先の病院が、ここから電車で行こうとすると遠回りになって時間かかっちゃう場所だから。大急ぎでカルテの整理して送るって、仰ってくださって……」
「なるほどね」
本当、まったく表情が読めない。
だって、失礼を承知で言うけれど、貴志先生って面の皮が分厚いから……。
「麗華先生って、ほんっとスタッフ思いのいい上司だよね。姐御肌でさ」
「そう思います、私も」
「麗華先生から聞いたけど、ケガも軽傷で心配なさそうなんだって? 保坂センセイの“お姉さん”」
(麗華先生、貴志先生にはそういうふうに伝えていたんだ)
「そうみたいです。とりあえず少し安心――」
「あ」
「はい?」
「ひょっとして、桑野先生やボクが目撃した長身の美人さんは“お姉さん”だったなんていうオチが――」
「ありましたね」
きっぱりばっさり答えると、貴志先生は「なーんだ」とつまらなそうに肩を落とした。
「けどまあ、納得といえば納得か。保坂センセイ、一途そうだもんな」
「今さら何なんですか。私のこと散々脅かしておいて……」
「それはだって」
「だって、なんです?」
「キミがかわいいから」
貴志先生がいくら表情を読みづらい人でも、たとえ私が恋愛偏差値が低いにぶちんでも、さすがにわかった。
ふだんは巧妙に隠しているであろう貴志先生の素顔。
それにしても、貴志先生らしくもない……。
賢い先生なら、その台詞が私の心をつかむことは決してないとわかっているでしょうに。
なのに、どうして……。
ずるい私は心に滲む切なさに気づかぬふりをして言い放った。
「そういう台詞は好きな人に言われてこそですよ。貴志先生に言われても、残念ながら」
「残酷だな、キミは」
「そんな、こと……」
「ずるくて残酷だ。でも――」
貴志先生は白衣のポケットに手をつっこむと、一呼吸おいてぽつりと言った。
「正しいな」
いつも自信と余裕にあふれた貴志先生の、おそらく見たことのない表情。
(先生だって、とても正しい人ですよ)
そう思ったけれど、言葉にするのはよしておいた。
ちょうどそんなとき、麗華先生が慌ただしくスタッフルームに現れた。
「清水さん、ごめん。少し遅くなった。って……貴志クン、まだいたの!?」
(麗華先生、すっかりプライベートモードだ)
「まだいましたよ。お二人はこれから一緒に病院へ行かれるんですよね?」
麗華先生はすべてを察したようだった。
そして、貴志先生もまた察したことを察していたに違いなかった。
「ボクはもう少し残っていくので。最後はしめていくので大丈夫ですよ」
「じゃあよろしく頼むわね。今日はホントありがと。助かった」
麗華先生が茶目っ気たっぷりの拝むポーズでお礼を言うと、貴志先生は爽やかに笑って丁寧にお辞儀した。
「いいえ。どうかお気になさらず」
「今度ちゃんと埋め合わせするから、“保坂クン”が」
「それじゃあ高い酒でもおごってもらいますかね」
「そうしてちょうだい」
貴志先生は本人が言っていたとおり、借りを返してもらおうなんて思っていないに違いない。
けど、彼のほうはどうだろう?
律儀に返そうとして面倒なことになりそうな……。
「おふたりとも、気をつけて」
こうして麗華先生と私は、貴志先生の貴公子の笑顔に見送られながら、クリニックをあとにした。
いつもより患者さんが多かったわけでもないのに、とてもとても長い長い午後だった。
次々と皆が退勤するのをよそに、私はスタッフルームの片づけをしながら麗華先生を待った。
「キミ、行かなくていいの?」
「ぎゃっ」
気配もさせずに現れた貴志先生に露骨にびくり。
「失礼だな」
「すみません……」
「あのさ」
「な、なんでしょう?」
「麗華先生て、キミと保坂センセイのこと知ってたりするわけ?」
「ええっ」
(ど、どうしよう? 私、へんだった? 何かやらかしてた?)
「他のスタッフが知らない事情をキミだけは知っている。そしておそらく、麗華先生はキミが知っていると知っている。いや、麗華先生と保坂センセイがキミだけには情報共有をしたとか??? まあ、いずれそういうことなんじゃないかと。違う?」
「どうして、そんな……」
どぎまぎと視線をそらす私に、貴志先生が淡々と指摘する。
「なんとなくだよ。午後ずっと、麗華先生がキミのことを気遣っている感じがしたからさ。そういうことなのかなぁって」
さすが元ホスト?
すごい人間観察力というか、勘の良さというか。
これはもう逃れられないと思った。
誤魔化そうとしたら、芋づる式にいろんなぼろがでてしまいそうで。
(麗華先生と保阪兄弟が幼馴染というのは絶対に秘密だから)
ただ、だからといって「ああ、そうですよ。それが何か?」と言えるほど、度胸があるでもなくて……。
沈黙する私に貴志先生はさらりと言った。
「黙っている、否定しないってことは肯定したと解釈していいわけだ」
(ああもう、どうしていいかわからないし)
私が黙っていると、先生はさらに続けた。
「麗華先生が応援団だったとは。まあ、先生はキミのこと信頼して目をかけているもんな。キミは仕事ぶりも人柄も真面目だし」
「わ、私が麗華先生を頼りにさせていただいているんです。だからその……彼のことも相談したり、とか……」
ウソは言っていない。
みんなみんな本当のこと。
ただ、本当のことのすべては話していないだけで。
(麗華先生と秋彦さんのつながりがバレてはいけない。それは絶対にダメだから)
「ふーん」
「だから、麗華先生が気にかけてくださって。搬送先の病院が、ここから電車で行こうとすると遠回りになって時間かかっちゃう場所だから。大急ぎでカルテの整理して送るって、仰ってくださって……」
「なるほどね」
本当、まったく表情が読めない。
だって、失礼を承知で言うけれど、貴志先生って面の皮が分厚いから……。
「麗華先生って、ほんっとスタッフ思いのいい上司だよね。姐御肌でさ」
「そう思います、私も」
「麗華先生から聞いたけど、ケガも軽傷で心配なさそうなんだって? 保坂センセイの“お姉さん”」
(麗華先生、貴志先生にはそういうふうに伝えていたんだ)
「そうみたいです。とりあえず少し安心――」
「あ」
「はい?」
「ひょっとして、桑野先生やボクが目撃した長身の美人さんは“お姉さん”だったなんていうオチが――」
「ありましたね」
きっぱりばっさり答えると、貴志先生は「なーんだ」とつまらなそうに肩を落とした。
「けどまあ、納得といえば納得か。保坂センセイ、一途そうだもんな」
「今さら何なんですか。私のこと散々脅かしておいて……」
「それはだって」
「だって、なんです?」
「キミがかわいいから」
貴志先生がいくら表情を読みづらい人でも、たとえ私が恋愛偏差値が低いにぶちんでも、さすがにわかった。
ふだんは巧妙に隠しているであろう貴志先生の素顔。
それにしても、貴志先生らしくもない……。
賢い先生なら、その台詞が私の心をつかむことは決してないとわかっているでしょうに。
なのに、どうして……。
ずるい私は心に滲む切なさに気づかぬふりをして言い放った。
「そういう台詞は好きな人に言われてこそですよ。貴志先生に言われても、残念ながら」
「残酷だな、キミは」
「そんな、こと……」
「ずるくて残酷だ。でも――」
貴志先生は白衣のポケットに手をつっこむと、一呼吸おいてぽつりと言った。
「正しいな」
いつも自信と余裕にあふれた貴志先生の、おそらく見たことのない表情。
(先生だって、とても正しい人ですよ)
そう思ったけれど、言葉にするのはよしておいた。
ちょうどそんなとき、麗華先生が慌ただしくスタッフルームに現れた。
「清水さん、ごめん。少し遅くなった。って……貴志クン、まだいたの!?」
(麗華先生、すっかりプライベートモードだ)
「まだいましたよ。お二人はこれから一緒に病院へ行かれるんですよね?」
麗華先生はすべてを察したようだった。
そして、貴志先生もまた察したことを察していたに違いなかった。
「ボクはもう少し残っていくので。最後はしめていくので大丈夫ですよ」
「じゃあよろしく頼むわね。今日はホントありがと。助かった」
麗華先生が茶目っ気たっぷりの拝むポーズでお礼を言うと、貴志先生は爽やかに笑って丁寧にお辞儀した。
「いいえ。どうかお気になさらず」
「今度ちゃんと埋め合わせするから、“保坂クン”が」
「それじゃあ高い酒でもおごってもらいますかね」
「そうしてちょうだい」
貴志先生は本人が言っていたとおり、借りを返してもらおうなんて思っていないに違いない。
けど、彼のほうはどうだろう?
律儀に返そうとして面倒なことになりそうな……。
「おふたりとも、気をつけて」
こうして麗華先生と私は、貴志先生の貴公子の笑顔に見送られながら、クリニックをあとにした。



