「はい、小川は私でございます」
すると相手は黙った。
私は首を傾げて受話器を持ち直す。
「もしもし?」
沈黙の向こうで、微かな気配がした。笑った、と思った。すると小さな声が聞こえてきた。
『・・・・小川、まり、さん?今日は出勤なんだね。僕は細川と言います』
頭の中で、何かが掠った。
正体の判らないその情報を、もどかしく思いながら、私は普通の声で応答する。
「細川様。私が小川ですが、何か御用でしょうか?」
『別に用はないんだ』
私は眉間に皺を寄せた。
――――――まさか、この男。
「・・・失礼ですが、どこかでお会いしましたでしょうか?」
つい、慎重な声になった。それでもまだ、お客様である可能性があるから下手な応答は出来ない。無意識に受話器をきつく握り締めていた。
『・・・覚えてないんだね。細川政也って名前なんだけど。―――――そう言えば――――』
一度言葉を切って、更に小さくなった声で、こう言った。
『・・・・手紙、読んでくれた?』
プツっ――――――――・・・・
私はじっと突然切れた電話を見詰める。受話器をそろそろと耳から離して、ゆっくりと電話に戻した。
・・・間違いない。
鮮魚売り場の方へ視線をめぐらす。そこに、今日が休みの桑谷さんの姿はない。
・・・・こいつ、あの、ストーカーだ。



