ある所に偉大なミュージシャンがいた。
 日本人だ。
 名前は……なんでもいいだろう。
 もう終わった話なのだから。

 彼は音楽一家の家に生まれ、小さい頃から様々な音楽に触れて生きてきた。
 ロックにポップ、ヒップホップからクラシック、ワールドミュージックにいたるまで、とにかく音楽ならばどんなものでも聴いてきた。
 三歳を過ぎた辺りからは自分でも楽器を演奏するようになる。ピアノから始まり、ヴァイオン、ギター、ドラム、どんなものでも好き嫌いをせずにとにかくいろいろ挑戦してきた。これは強制をされたわけではなく、ただ単純に音を出すことが楽しかったからだ。
 彼には才能もあったのかもしれない。どんな楽器でもすぐに演奏できるようになった。でも上達が早かったのはやはり音楽が好きだったからだろう。
 彼は音楽以外の事にほとんど興味を示さなかった、テレビやゲーム、漫画やスポーツなど全般にだ。とにかく一日中音楽を聴き、何かの楽器に触れていた。

 そんな彼だったが、十歳を超えた辺りから楽器はギター一本に絞ることになる。いろいろ触ってみた結果、一番自分にあっていると思ったからだ。彼がギターに専念するようになってからの上達は特にすごかった。一年後の友人の誕生日会ではベンチャーズのパイプラインの速弾きを披露したほどだ。
 彼は中学を卒業すると、父親のつてをたどり単身渡米をはたす。初めのうちはアーティストのバックバンドで下積みを積み、徐々に信頼と名声を高めていく。一緒にコンサートツアーを行ったアーティストは、その年齢に似合わない異常なテクニックに驚く者がほとんどだった。
 そしてその噂を聞きつけて、バンドからお誘いが来るようになる。それはもう無名のバンドから全米チャートにランクインする様なバンドまで選び放題だった。だが彼はしばらくの間その全てのお誘いを断り続けた。
理由は彼が満足出来る音を出せる人達ではなかったからだ。

 そんな下積み生活を続けて二年後の十八歳の時に彼は運命の出会いをする。全くの無名バンドではあったが、実力と熱意の両方が彼の望む水準に達しているバンドに巡り会えたのだ。彼はバンドの誘いに二つ返事でOKをした。
 それから二年後、ファーストアルバムが全米チャートで一位になる。世界中からライブのオファーが来るようになり、全米ツアーはもちろん、世界中でツアーを行い、さらに二年後に発売されたセカンドアルバムは記録的なヒットを飛ばした。
 しかしそこで彼は突然バンドを脱退する。理由は方向性の違い……というよりも、彼がバンドの音に飽きてしまったからである。

 彼は独立をすると、自ら曲を作り、様々なアーティストに楽曲の提供を行うようになった。ありとあらゆる音楽に精通している彼の音楽は斬新かつ面白いものばかりで、瞬く間に世界中のアーティストから楽曲提供のオファーを受けるようになる。彼は稼いだお金でイギリスのセントジョンズウッドに豪邸を建て、そこで音楽制作を行うようになる。今思えばこの時が彼の人生の中で一番幸せだった時期かもしれない。

 数年後、彼は突如として楽曲の提供を行わなくなった。理由は自分が満足出来る作品を作れなくなってしまったからだ。才能が枯渇してしまった訳ではない。彼が作った曲は、今でも誰もが欲しがる曲ばかりだ。それにもかかわらず彼は楽曲の提供を行わなくなった。既に彼の中ではお金はさほど重要な物では無くなっていたからだ。ほっとけば勝手に入ってくる。彼はとにかく自分が満足できる作品を作りたかった。
 彼は作品を作り続けた。即興で作ったものから年単位で時間を掛けたものまでとにかくいろんなジャンルのいろんな曲を作り続けた。だが結局自分が満足出来る曲を作ることは出来なかった。何度でもいうが、彼の才能が枯渇したわけではない。彼のパソコンのハードディスクの中身は、見る人が見ればまさに宝の山だ。
 そんな日々を年単位で過ごしていくと、次第に彼の心はすさんでいった。音楽への情熱は薄れ、満足なものを作れない苛立ちからお酒の量が増えた。
 そして気晴らしのつもりで拳銃を買った。この国では違法だが、金とつてがあれば大抵のものは手に入る。そして拳銃を構え、銃口をこめかみにつけてみると……凄まじい恐怖感が襲ってくる。少なくともまだその時では無いのだと安心した。
 今でも彼は人が作った音楽を聴く分には聴いている。もしかしたら自分以外のだれかが自分の満足出来る作品を作ってくれているかも知れないと希望を抱いているからだ。だが結局どれもこれも似たり寄ったりで新鮮な音などどこにもなかった。
 そして彼はこう思うようになる。
 ――もしかしたらオレが満足出来る音楽など、もうこの世には無いのではないか?……と。
 そして彼はついに、音楽を作らなくなった。

 それから数年間。酒に溺れる日々が続いている中で、ある日友人が電話をかけてきた。「一緒に酒でも飲まないか?」と。もちろん彼に断る理由など無い。どうせ四六時中酒を飲んでいるのだ。いつだって歓迎だ。
 近くのバーでひさしぶりに友人と合うと、いろいろと話しをした。まぁとりとめのないどうでもいい話だ。
 そんな話をしている中で、友人はこう切り出してきた。
「そういえば今度ウェンブリーで面白い奴らがライブをやるんだ。気分転換に行ってみたらどうだ?」
 その言葉に彼は興味を持った。もし本当に面白い音楽であれば、それこそ今彼の求めているものだ。
「へぇー。いいね。どんな音楽?」
「これなんだけどさ。お前と同じ日本人だってよ。ちょっと見てくれよ」
 そういうと、友人はスマートフォンを取り出すと、ネットの動画を再生した。どうやら音楽のプロモーションビデオを見せてくれるらしい。それを見た彼は言葉を失う……。
 ――なんだこのゴミは?なめてんのか?
 メタルの音楽にあわせてアイドルが踊って歌っている。とても正気とは思えない。途中まで観たところで彼は一度鼻で笑うと静かな声で友人にこう聞いた。
「お前まさかこれがいいとでも思っているのか?」
 すると友人は慌てて動画を止める。
「あぁ……悪かった。そう怒るなよ。オレは面白いと思ったんだけど、まぁお前からしてみればゴミみたいなもんか。悪い!忘れてくれ!」
 その動画を観た後妙にイラついてしまい、結局友人とはすぐに別れることになった。

 彼はふらふらと家にたどり着くと、ソファーの上に身を投げ出す。
 ふぅ……。彼は額を腕で抑えながら、天井を見上げる。そして目をつむり眠りにつこうとすると、頭の奥の方から先ほど途中まで聴いた音楽が流れだしてきた。
 なんだ?彼は思わずつむった目を開け直す。すると音は消え静寂が戻ってくる。気のせいか……そう思い目をつむると……また流れてきた。
 ――クソッたれが!
 おもわず彼はソファーを殴りつけた。なんなんだいったい。その後も目をつむる度にあの音楽が流れてくる。仕方なく彼は体を起こした。
 あの動画を見るしかないか。ウンザリした感じで彼はパソコンの電源をつけた。考えてみれば彼が聴き始めた音楽を途中で放棄したのは先ほどが人生で初めてだったかもしれない。そのせいで変に頭に残ってしまっているのだ。どんなゴミみたいな音楽でもやはり最後まで聴かないと落ち着かないのだろう。
 彼はインターネットで先ほどの音楽を探した。アーティスト名も曲名もわからなかったが、アホみたいなフレーズだけは先程から何度も頭の中に流れたからわかる。
 そのフレーズをインターネットで検索すると、一つの曲名が浮かび上がった。そしてそれをクリックすると、動画が再生され音楽が流れ始める。……あの忌まわしいクソみたいな音楽だ。
 メタルの音楽にポップな歌声が響き渡る。聴いている途中に何度パソコンをぶち壊しそうになったかわからない。でも最後まで聴かないかぎりこの地獄からは抜けられない。そう思い、血の滲むような努力をしながら最後までその音楽を聴き切る。聴き切っても結果は一緒だった。反吐が出る。
 だが問題なのはオレの頭だ。音楽を聴く前よりも酷くなっている。今では目を開けていてもあの音楽が頭の中に鳴り響いているのだ。
 ――オレは……ついに狂っちまったのか……?
 悪夢のような嫌悪感の中、呪いのように頭の中でその音楽は流れ続ける。
 そして、ヴゥッ……っと突然激しい吐き気を催すと、その場で胃の中の物を全て吐き出してしまい……そして……

 ……倒れた。