全生活史健忘
私は、事故以前の記憶を無くした。
自分の名前は勿論、家族、学校の友達と過ごした思い出が残ってなかった。
幸い、知識的な記憶には障害はなかったが、それでも私が無くした記憶は大きかった。
当時は、本当に何が何だか解らず悲しくて毎日病室のベッドで泣いていた。
そんな私の手を優しく握りしめていた母の手の温もりが、この人が母親という事を教えてくれたんだと思う。
母は、病院を退院する時
「貴方が無くした記憶は一生戻らないかも知れない。だけど、貴方は、こうして今生きている。今日からは、無くした記憶を取り戻す為に生きるのではなく、これから新しい自分を、新しい思い出を作る為に生きて欲しい。」
と私に優しい声で話してくれた。
その言葉があったから、私は一年近くも学校に通う為にリハビリを頑張れたんだと思う。
そして、高校に編入したのは良いが、一学年周りのみんなより歳上の私は、上手く周りと打ち解ける事が出来ずそのまま高校を卒業した。
そして、今こうして大学に入学した私は、新しい友達も出来たし、これからバイトの面接だし、思いっきり今を楽しみ、事故で無くした記憶に負けないぐらいの思い出を作る予定なんです。
百合ちゃんが書いてくれた簡易地図に目をとおすと目的のBARがある場所に着いたはずなのに、目の前に見えるのは、コンクリート造りの無愛想な建物だ。
BARと聞いてたからもっとお洒落な建物を想像していた私は少しショックを受けたが、
得意の?ポジティブシンキングで持ち直した。
コンクリートの壁の中央に木造のドアが見えた。
私は、ドアの前に移動して、深呼吸をした。
百合ちゃんが別れ際に言っていた
「第一印象が肝心だからね。頑張って!」
という台詞が頭の中でリピートされていた。
そして、勇気を振り絞ってドアノブに、手わかけようと思った瞬間、木製の厚みのあるドアがギィーっと鈍い音を鳴らしながら開いた。
「あっごめん。ビックリした?」
突然開いたドアに驚いていた私を気遣う声が聞こえた。