隣で寝静まる千尋の姿を確認すると、私は静かに部屋を出た。
腕時計に目を移すと針は早朝の4時を回ろうかとしていた。
まだ身体が熱を帯びている。
それと反比例して自分の心が熱を失っていくのが確かに感じられた。
「ケイト、お前の娘は確かに良い女だったよ。私が保証する。」
いる筈の無い友人に語りかけた。
白い息が空気中に溶けて行く。
それからも私の生活は、特に変わる事なく世界中を飛び回っていた。
千尋の件は、真尋さんに一任する事を手紙で頼んだ。
合わせる顔なんてある筈か無い。
私は、あの夜仮初めの親の仮面を剥ぎ取り、千尋を一人の女と認め抱いたのだ。
この頃から私は、虚無感から逃れる様に、アルコールに溺れる事が多くなっていた。
四月に入り、仕事の都合で久しぶりにワシントンを訪れていた。
丁度桜祭りの時期と重なり、市内には全米中から短い命を尊む様に、沢山の人間が集まっていた。
あまり日本人の間では、認識されていないが1912年、当時の東京市長の尾崎氏がワシントンに桜を寄与した事が起源している。
ポトマック川に沿う様に、桜の木が植えられていて、祭りの開催中には、ラグビーの大会や花火等も挙げられ戦後、わざとらしく日米の友好を強調するかの様に、その規模は年々大きくなっている様に感じられる。
その日も、私は仕事を片付けた後通いきつけのホテル近くのBARで一人アルコールに浸っていると、日本人と言う事もあり、マスターが桜祭りの話しを私に始めた。
桜かぁ、実言うと華奈との一軒以来、私は桜を見る事に酷く億劫になっていた。
ただ、今の私には何故か酷く恋しく懐かしいモノに思え、BARを出てポトマック川まで足を運んでみる事にした。
LightUPされた桜達は、その老い先短い人生を人々の記憶に焼き付けようと咲き乱れていた。
日本の花見と違い、アメリカでは屋外でのアルコールの摂取が厳しく取り締まってあり、喧騒も無く静かな時間を楽しめる。
こうしていると、まるで華奈と出会った若かりし頃に引き戻されそうな錯覚に襲われる。