どれくらいの時間千尋を抱きしめていただろう?
やがて千尋の声が途絶え、静寂だけが私達を包む。
こんな感覚は、随分と長い時間味わった事がない。
緩やかで溶けてしまいそうなくらい柔らかい空気。
しかし、一つの行動でこの空気の流れは、急変する。
そんな不安定な流れの中に今私はいる。
私は、ゆっくりと千尋の身体を引き離した。
千尋は、まだ乾ききっていない瞳で私をじっと見つめる。
「すまないが、私は君の気持ちを受け入れてあげる事が出来ない。それは、今迄の親子としての道徳心が理由ではない。真尋さんやケイトに対しての罪悪感が理由でもない。」
人には、誰にでも一つ一つの行動に対しての栓みたいなモノがあると私は考えている。その栓は凄く厄介で一度その栓を緩めると中々きつく締め直す事が出来ない。
私は、紗耶香を妻に娶る時にその栓をきつく締めた。
私の父は、愛人が多い人間だった。
そして、母はそんな父を蔑み毛嫌いしていた。
そんな事情から、妻の紗耶香には私の母の様になって欲しくはなかった。
「解りました。なら一つだけ私のお願いを聞いていただけませんか?」
彼女のお願いが何かなんて、考える余裕等私には残されてなかった。
ただ、私の一方的な事情で彼女の気持ちを受け止めれない罪悪感から彼女の願いが何であっても叶えてあげないといけないと強く思う。
「解った。私が出来ることなら。」
「ふふっ。有難うございます。私もこの恋が上手く行くなんてないと解っていました。それに、真尋さんが与えて下さったこの時間の間に自分なりに麗人さんの事を冷静に考える事が出来ました。」
千尋の微笑みがいつもより少し大人びて感じられた。
「私は、貴方にとって例え血が繋がっていなくても、娘であり、大切な友人から預かった小さな命であると言う真実は、此れから先も変える事は出来ないでしょう。でも、この時間だけは、私を1人の女性として接して欲しい。そうして頂けたら、此れからの私の人生でいつか貴方へのこの気持ちも誇れるモノに成れると思います。千尋の最後のわがままを聞いて下さい。」
彼女が話し終えるのと同時に、私は、彼女の腰に手を廻し、その細い身体を強く引き寄せた。
そして、私の行動に驚き開きかけた千尋の唇に自分の唇を重ねた。
今迄、きつく締めていた栓が音をたてて抜けた瞬間だ。