私は、それから時間がある時は彼女の手伝いをしていた。
本当は、たまにサボってまで彼女に逢いに行っていた。
もちろん真面目な俊彦にサボる度に小言を言われていた。
彼女と出会って一週間が過ぎていた。
その一週間と言う時間は、私に彼女の色んな事を教えてくれた。
彼女は、戦争で家族を無くしていた。
初めて会った時に話していた父親も元は医師だったが、戦地で感染病を患い、色んな病院を転々とされた後、最後にこの野営病院で息を引き取っていた。
戦火を避ける為親戚の家に疎開して来た彼女は、父がこの病院に移されて来た時、唯一の肉親を失いたくない思いで毎日お見舞いに来ていたが彼女の思いは通じず、私と出会う10日前に彼女の父親は他界した。
唯一の肉親の死の間際に自分の無力を嘆いたのか、彼女は、次の日から被爆者の病棟を訪れ身体を拭いてあげていた。彼女は、「解らない。」と答えていたが本当は誰かの力になりたかったんじゃないかと私は思う。
因みにこの話しは、野営病院の看護婦里美さん(24歳)が話してくれた。
そして何より彼女は良く笑った。
その笑顔は、暗い重度の患者たちの心を照らしていて、周りから日本のナイチンゲールとか、聖母様とか、本当に皆に慕われていた。
そして、彼女が少し病棟を離れると、何人かの年老いた患者達は涙を流しながら、
「華奈しゃんを幸せにしてやって下さい。」
私の手を力強く握り締め、彼女の幸せを願い、私にそれを頼んだ。
あの時は、本当、ただ苦笑いするしかなかった。