入学式の後、千代は中学校の校舎の中をうろうろしていた。
さすがに中学校の校舎は小学校より広い。ぼうっと歩いていれば校舎の中で迷子になってしまいそうだ。
千代は少し心細く思いながらしんとしている校舎の中を歩いた。知らない校舎の中を一人で歩くのは少し不安になる。
でも、探していれば出会えるかもしれない。何か新しい出会いに。今ここで動かないと楽しい中学校生活を逃すかもしれない。大いにありえることだ。そんなことしたくない。つまらない学校生活なんて残念だ。動けるなら動かなければ機会を逃す。
校舎の二階を歩いていたときだった。
「なんだよ、これ。オシツオサレツ?」
廊下の左側にある教室の中から男の子の声が聞こえた。
「オシツオサレツじゃないよ。折り鶴でしょ!」
続いて女の子の声が言った。
千代も読んだことがある。ドリトル先生の物語の中に登場したオシツオサレツというおかしな生き物。それは本当にいるのかも千代は知らないし、もちろん姿を見たこともない。
そんなオシツオサレツに折り鶴が見えるとは、一体どういうことなのだろう?
千代は思わず声の聞こえた教室の前まで来た。
そこは二年生の教室だった。
さすがに上級生の教室に用もないのに勝手に入るのは失礼だろうか?千代はそう考えて少し戸惑った。
ドアの前で立ち止まっていると後ろから誰かに肩に手を置かれた。
千代は驚いてそちらを振り向いた。
美しいフワフワとした髪を背中に流した女の子が銀に見える瞳で優しく千代を見ていた。
「何かご用事?困ってる?」
女の子に優しく話しかけられ千代はほっとした。
「いえ、声が聞こえたのでつい。すみませんでした。」
千代が答えると女の子は嬉しそうな顔をした。
「なんだ、そういうことなら遠慮しないで」
女の子はそう言うと千代の手を取って教室に入った。
教室の中は目を見張る景色だった。周りじゅうぐるっと小さいのから大きいのまで折り鶴が飾られ、教卓の上にも折り鶴が並べられている。真ん中の机の列の一番後ろの机を囲んで男の子と女の子が二人で座っている。その机の上にも大量の折り鶴が乗っていた。折り鶴まみれだ。
「小蝶、おかえり。って誰?その子?」
男の子が言った。
「一緒に折り鶴を折りたいらしいわよ。ドアの前にいたから連れてきたの」
小蝶と呼ばれた女の子が答えた。
「え?」
千代は思わず聞き返してしまった
「え、違うの?」
彼女が言ったのと同時に男の子がガタリと立ち上がった。
「後輩!?」
「え?」
千代はなんとなく感じた。めんどくさいことになってしまったと。
「わ、私そんなつもりで」
「一年だよね?折り鶴好き?」
もう一人の方の女の子が勝手に話しを進める。
「折り鶴は嫌いか好きかって言われたら好きです」
千代は仕方なく答えた。
「よし。君を仲間に迎える。ところで名前は?」
男の子が勝手に千代を仲間にする。
「あの、違うんですけど」
千代はなんとか抵抗した。
が、なぜか彼らはすでにその気になっていて・・・。
「・・・花丘千代です」
仕方なく名乗った。
「千代ちゃん、ね。かわいい!」
机の前に座っている女の子が千代の名前を聞いて褒める。
正直、褒められて嬉しくないわけではなかった。が、ここでそんなことで喜んでいるのんきさを千代は持っていない。
このままではつまらない学校生活どころか千代の中学校生活は苦痛な思い出になってしまうかもしれない。こんな得体の知れない先輩たちに付き合わされたくない。
千代はドアの方を見た。
早く出たい。
そんな千代の様子に気が付いたのか小蝶と呼ばれていた女の子の方が助けを差し伸べた。
「ストップ!二人共、少し黙りなさいよ」
小蝶の声に勝手に話しを進めていた二人は静かになった。
「まだ、何もそんなこと言ってないでしょ!?この子だって困ってるじゃない」
「ご、ごめん」
男の子が慌てた様子で謝った。
どうやらこの小蝶が二人をまとめているようだ。
「まあ、いろいろ勘違いしたみたいで、ごめんなさいね」
小蝶は申し訳ないという様子で千代を見て苦笑いした。
「あ、い、いえこちらこそ、誤解をさせてしまって・・・」
千代は口ごもった。
「とりあえず見てかない?折り鶴、好きなんでしょ? 二人も乗り気だから遠慮しないで、あ、もちろん嫌なら帰っていいよ?変な奴らだから関わりたくないならやめたほうがいいからね」
二人のあまりの食いつきに心配になったのか小蝶は千代に警告した。
千代は教室の中を見回して、後ろの席を囲んでいる二人をじっと見た。
二人も千代をじっと見ている。
意識すると二人共綺麗な人だ。女の子の方は癖のない長い黒髪を腰のあたりまでのばしている。目も髪と同じように真黒で日本人の女性の見本のようだ。色白で折り鶴がよく映える。男の子はやわらかそうな髪の毛に男の子らしいいたずらそうな目をしているが雰囲気は割と柔らかい。座っているから分からないが背はそんなに高くないようだ。
千代は緊張してきた。
逃げるなら今のうちだ。
でも、足が動かない。緊張で固まったのだ。帰りたい気もする。でも、帰ったら失礼な気もする。小蝶は帰りたいなら帰っていいといったが正直、こんなに期待している人たちの前で堂々とドアを開けて出ていくのは怖い。どういう反応をされるだろう?さもがっかりするだろう。できるなら人をがっかりさせたくないというのが千代の思いだった。
「千代ちゃん」
男の子がこちらに寄ってきた。
(え、な、なに?怒鳴られる?)
千代はおびえて一歩下がった。
「見る?」
男の子が手を差し出してきた。その上に小さな折り鶴が一羽乗っている。
千代は、え?と思い、手を出した。
その手の上にぽとんと折り鶴は乗った。
千代は思わずその折り鶴に見とれた。赤い千代紙で作られているそれはとても美しかった。形のきれいに整ったその折り鶴は千代の心をひきつけた。
「きれい」
思わずつぶやくと先輩たちが笑ったのに気がついた。
「べ、別に私はこんなことをしたいとかいうわけでは・・・」
「ああ、こんなことね」
小蝶が周りを見回した。
「終わったら持って帰ってるし、次の日には残さないようにしてるぞ?」
男の子は反論する。
「す、すみません」
千代は焦って誤った。
「いや、怒ってないし・・・」
どうも振り回しているのは千代のほうに思えてきた。
「それ、気に入ったら持ってて」
男の子は折り鶴を指して言った。
「記念にさ。こういうヤツと会ったみたいな」
男の子は笑いながら言った。
千代は素直に嬉しくて顔を輝かせた。
そんな千代を見てみんなが笑った。
「こ、これも持ってて」
「え・・・」
黒髪の女の子が大量に不格好な折り鶴を抱えて近寄ってきた。
「オシツオサレツを後輩にやるか?」
男の子がまた笑う。
大量の不格好な折り鶴の上に確かにくちばしが両側についている折り鶴があった。もちろんそんなふうに折り目がついているだけなのだろうが・・・。
「オシツオサレツ・・・」
これのことだったか。なんとなく納得した。
「あ、ありがと・・・」
「それ、折り鶴だからね。オシツオサレツっていうのはユウくんが勝手に言ってるだけだから」
女の子が言った。
「わ、わかります。折り鶴ですよね」
千代が答えると女の子は得意そうにほら、と男の子を見た。
「気、使わなくていいよ。どう見たってオシツオサレツだもんな?」
男の子が笑いながら千代を見た。
千代は先輩たちの親しみやすい感じに少しひかれた。
(少しなら付き合ってもいいかな)
そうは思いつつも先輩たちの反応が柔らかくなっていたのでまた来ます。とうまく言って出ていくことにした。

千代は家に帰ると部屋の中に入ってもらった折り鶴を取り出した。
あれだけ歓迎されてしまうと断りずらい。
どうしたものかと考えながら男の子からもらった折り鶴を眺めているとそれがとても正確に出来ているのに気が付いた。
「これ、あの人が作ったのかな?すごい・・・」
千代は思わずつぶやいた。
それは本当にずれ一つ見当たらない。まるで機会が折ったようだ。
「私・・・」
千代は決心を固めた。

「先輩!」
次の日の放課後、千代は二年生の教室のドアを開けた。
教室の中では昨日と同じように三人の先輩が折り鶴にまみれて折り鶴を折っていた。
「千代ちゃん、いらっしゃい」
男の子が言った。
「先輩、弟子にしてください!」
男の子がぽかんとした。
「先輩の折り鶴に惚れました」
千代が言うと男の子はいたずらそうな目で笑ってうなずいた。
「俺は藤原優雪。よろしくな。千代ちゃん」
花丘千代が中学校生活最初に出会ったものは、折り鶴の師匠だった。