千代が中学校に入学してから2か月ほどがたって夏が近づいてきた。
 6月も中旬になったある日の放課後、千代がいつものように優雪の教室に行くと、鶴が一人入り口の近くで待っていた。
 彼女は教室に入った千代を見ると微笑みながら近寄ってきた。
 いつもの鶴と少し様子が違っているように千代は感じた。
 いつもなら挨拶のハグがくるはずだ。でも今日はそれもない。
「鶴先輩、こんにちは」
 千代は少し不思議に思いながらもいつものように自然に挨拶して後ろの方の席に向かった。
 そこで今日は優雪と小蝶の荷物がないことに気づいた。
 机の上の折り鶴の数も今日は少なく、ほとんど鶴の折った不格好な折り鶴だ。
「優雪先輩と小蝶先輩は今日は来てないんですか」
 千代は鶴を振り返って聞いた。
「うん、ユウ君がちょっと、体調崩したって。小蝶ちゃんはユウ君のお見舞い行ったんだよ」
 鶴は答えた。
 千代はそれを聞いて少し心配になった。
 鶴がいつもと違うのは二人がいないからなのだろう。
「鶴先輩はお見舞いに行かなくていいんですか?」
 千代は聞いた。
 すると鶴はにこりと笑って答えた。
「私も行ったら千代ちゃん困っちゃうでしょ?それに、ユウ君は私が行かない方が休めると思うよ」
 それは、自分の行動が優雪を疲れさせているという自白なのか?
 千代は心の中で突っ込んでしまう。
 でも、自分のことを考えて待っていてくれたのはうれしい。
「ありがとうございます」
 千代は素直にお礼を言った。
「なんてことないよ。さあ、今日は私が師匠よ。なんでも言って」
「え、やるんですか?しかも、鶴先輩が師匠なんて無理な気がします」
 意気込んだ鶴に千代はきっぱりと返した。
 それを聞いて鶴はあからさまに落ち込んでうなだれてしまった。
(うわ、なんかめんどくさい。いつものハグ魔の先輩の方がまだいいかも……)
 千代は先行きを案じてため息が出そうになった。
「わかりました。鶴先輩の弟子にさせてもらいます」
 千代は鶴が喜びそうな方向に話を変えた。
 すると鶴は単純ながらすぐに気を良くして千代の向かいに座った。

「鶴先輩って、折り紙向いてない気がしますけど、どうしてわざわざ一緒にやってるんですか?」
 千代はふと聞いてみた。
 さっきから見ていて鶴の作り出す折り鶴は入学式の日に見たオシツオサレツもどきばかりだ。
 むしろわざとオシツオサレツ折り鶴を生み出しているのではないかと思えてくるくらいだ。
 すると鶴は顔を上げた。
「私は確かにユウ君や小蝶ちゃんみたいに綺麗な折り鶴は折れてないとは思ってる。でも、やり始めた時期が違うもの。優君は小さな頃からずっと折り鶴を折ってたって聞いてるし。それに、私は不器用だけど、二人ともそんなこと関係ないって言ってくれてるみたいに付き合ってくれてるんだ。だから、いいの。上手に出来なくてもかまわないんだ」
 鶴の話に千代はきまりが悪くなった。
「すみません、なんか、失礼なこと聞いちゃいましたよね」
 千代がうつむいて謝ると鶴は首を振った。
「いいよ。千代ちゃんはまだ入ったばっかりだし、私たちのこともよく分からないことも多いもんね。聞いてくれてありがとう」
 鶴の反応を見て千代は安心した。
 鶴は意外と先輩感がある。
「あの、じゃあ、もう一つ聞いていいですか?」
 千代は思い切って切り出した。
「いいよー。可愛い千代ちゃん」
 鶴はいつもの調子で受ける。
 千代は少しドキドキしながら聞いた。
「鶴先輩はなんで優雪先輩にこだわるんですか?」
「へ?」
 思わぬ質問に鶴は不意を突かれたようだった。
「なんか、いつも空振りな気がするんですが。鶴先輩は男の子にも好かれてるんですから、わざわざ、優雪先輩に意識してもらおうとするより、鶴先輩を意識してくれる人にアピールしたほうが」
 千代はまたきまりが悪くてうつむいた。
 しかし鶴は興奮して、身を乗り出して話し始めた。
「一目惚れしたの」
「へ?」
 今度は千代が驚かされてしまった。
「一目惚れ?って、見て好きになったってことですか?」
「そう。あれは紛れもなく一目惚れ。私の恋が始まった瞬間だった」
 嬉しそうに語る鶴を前に千代はどう反応していいのか困った。
「もちろん、簡単じゃないことは分かっているわ。ユウ君には小蝶ちゃんがいるし。私の勝ち目は少ない。でも、分かんないじゃない?逆転だって起きるかもしれないんだから」
 鶴は黙っていた千代に意気込んで見せた。
 鶴は相当根気強いタイプらしい。
 それに一目惚れをここまで貫くというのも女の子らしくて悪い気はしなかった。
 千代のなかで鶴に対する印象は少し変わった。

「そろそろ片付けようか?」
 鶴の言葉で千代は時計を見た。
 いつの間にか下校時間になっていた。
 この折り鶴を折る会は校則を破ることはしない。
 下校時間の最終までには使ったものはすべて片付け、私物は翌日の朝には残さない。
 このクラスの人もほとんどは優雪達が折り紙を折っているとは知らないだろう。
 そんな真面目な優雪達だからこそ千代も安心して付き合えるのかもしれない。

「じゃあね、また明日」
 学校帰りの別れ道で鶴はいつものように千代にギューと抱きついた。
 千代は今日くらいいいかと思い抵抗しなかった。

 鶴と前よりも少し仲良くなったように感じた日だった。