「花丘さん」
 明るい声が朝の教室に響いた。
 千代は自分の席でおとなしく折り紙を折っていたがその声に顔を上げた。
 千代の前にアユがやって来た。
「おはよう」
 千代はいつものように挨拶した。
「おはよー。何やってるの。また折り紙?」
 アユは千代の手元を覗き込む。
 優雪たちと一緒に放課後を過ごすようになってから千代は放課後以外も折り紙をするようになっていた。
 優雪の折り紙好きが移ったらしい。
「ねえ、その後、藤原先輩とはどうなってるの?」
 突然アユはそんな話題を持ち出してきた。
「またそれ?」
 千代はため息をついた。
 アユはまだ千代が優雪と付き合っていると思っているらしかった。
 あの、うわさが一通り収まった今でもたびたび話題にしてくる。
 そのたび千代は否定しているのだがどうやら照れて隠していると受け取っているようだ。
「誰だ?藤原って」
 突然、一人の男子が話に割って入ってきた。
「えー、松山君、藤原先輩、知らないの?かっこいい人がいるって女子の間では人気者なんだよ」
 アユが答えた。
 それだけ噂されていて実態は知られていないとは少し笑えると千代は思った。
「その先輩がなんとね、花丘さんと」
「ちがうー!」
 千代はアユの話をさえぎって叫んだ。
「花丘さんたら、隠さなくてもいいのに。私、応援してるんだから」
 アユは全く悪気のない顔で笑っている。
「だから違うって…」
 千代が言いかけたとき突然、アユの話を聞いた松山と呼ばれた男子が千代の机を叩いた。
「え、ちょ、何?松や…」
「誰だ、そいつ」
 驚いた千代の前で男子は怒鳴った。
 教室の生徒たちがこちらに注目する。
 そのことに気づいたのか彼は慌てた様子で言った。
「ごめん」
「言っとくけど、大葉さんの言ってること本気にしないでよ。違うから」
 千代は慌てて言ったがなぜか彼は探るような顔でじっと千代を見ていた。

「もう、大葉さん、いい加減に分かってくれないのかな…」
 放課後、千代は廊下を歩きながらは呟いた。
(松山にこれからからかわれたら嫌だな)
「千代ちゃん」
 憂鬱な気分で歩いていると後ろから声がかかった。
 千代はぎくっとした。
 振り返ると千代の憂鬱の原因である優雪が呑気な顔で立っていた。
「いっそ、もう、小蝶先輩とくっついてきたらいいじゃないですか」
 千代は優雪に向かっていきなり言った。
 突然のことに優雪がえ?という顔をする。
「二連続なら、簡単だよ。そんなに難しく思わなくても」
「何の話ですか?」
 優雪の返事に千代は思わず聞き返した。
「もちろん、折り鶴だよ?違うの?」
 そういえば、昨日、優雪から連鶴を折ろうと言われていた。
 折り鶴一つで千代の知らない遊び方を次々と教えてくれる優雪を千代は尊敬している。
 しかし、優雪に対して恋愛感情というものは一切ない。
 それに、千代から見ると優雪には好きな人がいる。
 優雪はこんなうわさを立てられて困るのではないだろうかと千代は思った。
(優雪先輩と小蝶先輩の関係を壊さないためにもきちんと話して今度こそ大葉さんに分かってもらうんだ)
 千代はそんなことを考えてぐっと拳を握った。
「気合い入れ?そんなに大変なものだと思ってる?なんか勘違いしてない?」
「うん、優雪先輩が。先輩は折り鶴しか頭にありませんね。じゃ、噂も聞こえてないか」
「は?噂?何のこと?」
「優雪先輩、私が鶴先輩びいきの人に脅かされたとき、睨んだから。あれから静まってるけど」
 千代は思い出して笑った。あれは、優雪は怒ると怖いということを覚えた出来事だった。
 優雪は千代の言ったことに厳しい顔になった。
「また、あいつ来たのか?」
「あっ、違う。あの人には何もされてないから」
 千代は慌てて言った。
「誰に何をされたんだ!?」
「そう言う意味じゃない。何もされてないから」
 厳しい表情の優雪を千代は何とかなだめる。
「なら良いけど」
 優雪はおとなしくなる。
 すると、千代の後ろにあった階段の非常口から大きな音がした。
 千代が見ると扉の裏側で誰かがしりもちをついたらしかった。
「あなた、一年ね。何やってるの」
 階段から小蝶が出てきて開いた扉の向こうに立った。
 後から鶴もやって来る。
 すると、千代からは扉に隠れて見えなかったところから慌てた様に人が出てきた。
「松山、何してるの?二年生のところで」
 千代はその人物を見て思わず言った。
 出てきたのは朝、クラスで千代とアユの会話に入った松山という男子だった。
「千代ちゃんの知り合い?この子、すごく怪しいことしてたんだけど」
 小蝶が千代の反応を見て言った。
「そうそう、千代ちゃん、尾行されてた」
 鶴が続けて言う。
 千代はますます首を傾げた。
 すると、扉から出てきた彼は急いで千代の方に向いて怒ったような顔で千代を見た。
 そして、思いっきり千代と優雪の方を指さす。
「おまえ、騙されてるから」
「ええっ?もしかして大葉さんが言ったことの話ししてる?なんでそんな解釈に」
 さらに、曲がった誤解をされていたのか!?と千代は口を大きく開けた。
「私、優雪先輩と付き合ってないし、ましてや騙されてなんかいないし、全部、大葉さんの勝手な想像だから!」
 千代がはっきり言うとしばらく間があった。
 と、松山は気の抜けたような様子になって次には恥ずかしいことをしたと思ったのだろう、突き出した指を引っ込めて急いで千代から背を向けた。
「ふーん、そういうこと」
 突然、優雪が心なしか楽しそうな声を上げた。
「え、今の流れ見ただけで何が分かったんですか!?」
 千代はまた突っ込んだ。
「要するに恋人がほかの男と会ってるって思われて問題起こしてたんだろ。千代ちゃん、そういうことは先に言わないと。彼氏との時間を折り紙に使ってるとは思ってなかったよ」
 優雪は言った。
「いや、全然違うから」
 即座に千代は答えた。
「え、違うの?じゃあ、この子は千代ちゃんとどういう関係?」
 優雪はきょとんとした。
 千代はむかついた。
「だから同級生ですって。彼氏じゃないから。どうして、優雪先輩だけでも厄介なのに松山とまであらぬ噂を」
「だから、俺が何なの?」
「優雪先輩なんか!KY、女の子の気持ちにもっと優しくできないの。折り鶴ばっかり
、折り鶴ったらし!」
 千代はいらいらしながら叫んだ。
「え、折り鶴ったらし?」
 優雪はぽかんとし、小蝶と鶴が噴出した。
 松山はどう反応していいのかわからないらしく瞬きをしている。
「さっきから、折り紙とか折り鶴とか何言ってるの?」
 しばらくしてやっと松山が言った。
 千代は大きくため息をついた。
 こいつにこんなことを知られるのは癪だがこの際仕方がない。
「優雪先輩に放課後に折り鶴の作り方教えてもらってたの」
 千代が話すと松山はぽかんとした。
「え、本当にそれだけ?」
「悪い?」
 千代はそっぽを向いて言った。
「いや、その、この人に恋愛してるとか」
 松山は疑わしそうに言う。
 千代は面倒くささがマックスのような気がした。
「だから、大葉さんのいうこと本気にするなって言ったじゃん。全然違うから」
「…」
 千代は松山が黙り込んだのを見てまた不満になった。
「何よ。どうせ、面白いねたができたって笑いの種にするんでしょ。悪かったわね。折り鶴なんか折ってて」
「折り鶴なんか?」
 すかさず優雪が千代のことだに突っ込んだが松山はふうっと安心したような息を吐いた。
「いや、彼氏じゃないなら良い」
 そう言ってさっさと千代から背を向ける。
「え?」
 千代は意外な反応に少し戸惑った。
(私のこと心配してくれた?)
 そんなことを思っていると松山は言った。
「今日は折り紙なんてしてないで下校付き合え。お前のせいで俺一人なんだから」
 千代の頭にカチンと来た。
「一人で帰れ!」
 松山は千代にいたずら笑いを向けて階段を戻っていった。
 その様子はいつもと変わらない松山だった。
(何だったんだろう?)
 千代は結局一方的に同級生の誤解に巻き込まれただけだった。