そもそも、いじめというものに明確な線引きというのは存在しない、存在し得ない。なぜなら人それぞれでいじめの基準は異なり、それを法律で定めることなど不可能に近いからである。


したがっていじめというものをなくすのは不可能であり、僕らが出来るのは数を減らすということのみ。


いじめほど理不尽なものはない。ましてや学校という小さなセカイの中でそれが広まることなど容易いものである。理不尽なものがいじめであり、その最も身近な代表例が君。何故なら君は僕のいじめのとばっちりを受けたに過ぎないからだ。


「……ごめん」

「んあ? 突然どうしたんだよ」

「いや、やっぱりなんでもない」


だが、自らの状況に気付いていない、否気付きたくない振りをしている君に、わざわざそれを伝える必要もないだろう。


僕は特に何も気にせずにいればいい。もし君が今の現状を受け入れるときが来たら、そのときにまた何か動きがあるだろう。今はまだ、現実を突きつける必要はない。


そう結論付け、僕は君を見守ることにした。見守るというのは適切な表現ではないかもしれない。逆に言えば見捨てたとも取れる。それは相手次第だろう。


それからも僕と君の関係が変わることはなかった。


少し二人で過ごす時間が増えたくらい、学校の外で会うこともないので、やはり大して変わらない。変わったのはむしろ周りの対応で、どうやら無視と上履きの隠れん坊だけでは足りなくなったようである。


ついうっかりノートを置いて帰ったら見開きにでかでかと『死ね』と書いてあった。これって器物損壊で訴えられるのではなかったろうか。


君のところにはまだそういうのはないらしい。いいのか悪いのか分からないが、否いいことに違いはないか。そもそも君は僕のとばっちりを受けただけであった。


しかし今はないだけでありこれからやられる可能性もなくはないので、君の態度には十分に気を付けることにしよう。別に、どうなったっていいのだが。


基本的に僕は他人に干渉しない。君の場合僕にも多少の責任があるので気にしている、だけかもしれない。真実は僕にも分からない。


唯一言えるのは、僕と君は似ているようでいて正反対でもあるということ。君は確かに昔の僕に似ているけれど、今の僕には似ていない。


時間というものは越えられないから、それ、が起こってからの時間が短いのもあるかもしれない、しかし僕はいじめと気付いたときには直ぐに身を引いた。それまでの自分の立場から。