アパートの前には予定通り、モスグリーンの軽が停まっていた。
私はそれに乗り込み、運転席に座っている融に声をかけた。
「ありがとう、融」
「うん。もう行ってエエか?もっかい家ん中確認せんでも――」
「大丈夫、行って。もう、時間がないから」
「よっしゃ、分かった」
そう言うと、彼はアクセルを踏み込んだ。
私たちを乗せた車は、ゆっくりと発進する。
私が大学に入ってから今までの十余年間、ずっと暮らしてきたアパートが、どんどん遠ざかってゆく。
昨日の晩、慌てて荷造りをしたので、もしかすると、融の言うように何か忘れてきているかもしれない。
けれど、私にとってそんなことは、もはやどうでも良かった。
私には、たった一つだけ、あればいい。
一つ、というより、一人、のほうが正しいかもしれないけれど。
私には――融さえいてくれれば、彼の存在さえあれば、もう、それで十分なのだから。