家に上がるとすぐ、彼は床に腰を下ろした。
それを見て私は、夕飯がまだなのだということを思い出す。
ということは、夕飯を作らなければならないのか。
彼に、私が?
でも、家に入れてしまった以上は、仕方がなかった。
私はあまり料理が得意なほうではなかったけれど、何も作れないわけではない。
私の出した料理を、彼は文句の一つも言わず、全て平らげてくれた。
彼も、やはり根は優しい人間なのだ。
「で、何の用なの?」
「ああ、そっか。そういえば、まだ何も言ってなかったね」
「うん。何も聞いてない」
「・・・あのさ、トールは?」
「え、融?えっと、実は――」
「いや、いいんだけどさ、別に。ただ、今でもオレのこと憶えてんのかな、と思って」
「憶えてるんじゃない?だってあの人、約束破ったら針一万本飲まなきゃいけないんだよ」
「そういえば、そんなこと言ってた。何だ、ユズキ、憶えてるんじゃん」
「たまたま、思い出しただけ。こんなこと、今までずっと忘れてたし」
それは、紛れもない事実だった。
私の中ではヒロト君に関する記憶なんて、もうほとんどないに等しかった。
言われれば思い出す、その程度のものでしかない。
それに対して、彼の中では私たちのことが印象深く記憶に残っているのだろう。
そうでなければ、私に声なんかかけなかったはずだ。


