「……おい」


唐突に前方から声がかかって、紗希はどきりとする。

自転車を押すのを止めて目を凝らすと、黒い着物を身に着けた青年が立っていた。

霧の先、全く気配を感じさせず、それは、地面から湧いて出てきたのかと錯覚してしてしまいそうな程だった。

黒檀色の前髪の向こうから、こちらを見据えて近づいてくる。


「え……?」


彼の纏っている切迫した雰囲気に、紗希は狼狽えた。

自分でない人に向かって話しかけたのだろうかと思って振り返るも、そこは薄霧に覆われた細い道。

降るように山鳥の声がしているだけだ。