猫とアトリエとペパーミント

 予感は的中だった。
 おいしいケーキと紅茶のセットを2つ頼むと、お兄さんのマシンガントークが始まった。内容はほとんどがお父さんの武勇伝で、大変興奮ぎみに早口で喋るのでちょっと聞き取りづらい。
 ふわふわのケーキを平らげ、紅茶でさっぱりしている私と違って、お兄さんはケーキに全く手をつけていない。勿体ない。

「それで斎藤さんはなにしたと思う?すごいんだ、1人でヤクザの事務所に乗り込んでね、組長と直談判して嫌がらせを止めるように誓約書を書かせたんだよ!!俺もうこの話聞いたとき、一生斎藤さんについていこうと思ったよね」

 ちなみにこの話はもう3回目だ。

「それでね、それでね」

 まだ続くんだ、と思わず言いかけたがぐっと我慢した。言ったところで聞いてないと思うけど。
 すっかり温くなってしまった紅茶を啜りながら、いつまでこの話しが続くのかぼんやり考えた。カフェテリアに居た人はいつの間にかいなくなっていて、私たちだけになっていた。
 お父さんまだかなあ、と思いつつカフェテリアの実用性が低い壁時計に目を向けると、パーティー開始から二時間が経過していた。
 つまり二時間近くこのお兄さんの話しに付き合っていたって訳ね。あー、帰りたい。今日何でここに来たんだろ。でも、あの絵画は見れてよかったなあ。目が覚めるような鮮やかな緑を思い出すだけで、いてもたってもいられなくなる。とにかくカンバスに向かいたい。
 私の視線が反れていたことに気がついたのか、お兄さんの声が一瞬途絶えた。そして、「あ、まずい!」と声がした。

「ホテル前に車を用意しなきゃ。さくら子さん、ケーキ食べる?」
「いただきます!」

 お兄さんの注文したシフォンケーキの乗ったお皿を自分の方に寄せて、フォークをさす。口に運べば卵の味と香りが口に広がった。どこか懐かしい、安心する味だった。

「じゃあ僕会計して車回すから、食べ終わったら、エントランスで斎藤さんを待っててね。あ、僕とお茶していたってのは内緒で」
「?…はい」

 内緒にする意味がわからないけど、おいしいケーキを奢ってくれたから、とりあえずはいと返事しておく。
 パタパタと急ぎ足で会計に向かったお兄さんを尻目に、私は存分にケーキを楽しむ。サイドに添えられたクリームを少し乗せ、口に運ぶと更においしい。しかし、クリームの頂点を陣取るミントの葉を見た途端に、手が止まった。
 絵がお好きなんですね。青緑の瞳と共に、威圧に近い視線を思い出す。ついでに寒気も。私はミントの葉をどかして、皿のはしに追いやった。大丈夫。きっともうに二度と会うことはないわ。
 残りのケーキを平らげて、クラッチバッグを手に席を立った。エントランスに戻ってソファに座っていると、何人かの人の波にのって、お父さんが現れた。

「さくら子ちゃん」
「お父さん、お疲れ様」

 お父さんは少し疲れたようで、こめかみを押さえて苦笑した。

「久しぶりにいっぱい名刺を配ったよ。それより何かあったのかい?かなり早い時間に会場を出たみたいだけど」
「あー、人に酔ったのかな?もう治ったよ」

 お父さんに連れられてホテルを出る。何となく解放された気になった。イケメン妖怪、お父さん自慢と今日は疲れた。化粧落として早く寝たい。
 目の前には行きと同じ車があった。運転席にはさっきのお兄さんがいて、行きと同じく無表情だった。私、お父さんの順番に後部座席に乗り込み、シートベルトをしたか確認されるとすぐに車は出発した。



 家に帰る頃には近くのお店はほとんどが閉まっていた。アパートの近くで停めてもらって、お父さんとお兄さんと別れてきた。スーツを脱ぐとハンガーにかけて、洗面台で化粧を落とした。
 寝間着に着替えてすぐにベッドインする。お風呂にはいるのも、明日の準備をするのも、朝にやろう。今は何も考えずに眠りたい。