猫とアトリエとペパーミント

 幽霊はやっぱりイケメンで、今気づいたけど鼻の下と顎に髭が生えている。おしゃれ髭だ。カジュアルに見えるはずの髭も、冷たい印象と混ざって厳つく見える。
 彼はやっぱりじっと私を見ている。その視線が怖くなって、私は警戒しながら無意識に一歩退いていた。

「絵が、お好きなんですか」

 さっきと同じ質問だ。微動だにせず、視線もずれない。正直に言うね。めちゃくちゃ怖い。
 声音は固くて、表情は一切ない。もしかして幽霊じゃなくて、妖怪の類いなのかも。恐怖の度合いはまったく変わらないけど。混乱する頭は、こちらに向かってくる声で真っ白に塗られた。

「しゃちょーーー!しゃちょーーー!こんな所に居たんですか!!もう挨拶始まりますよ」
「真、もう少し」

 誰かがこちらに走りよってきた。目の前の彼はそちらに目をやった。
 視線が外れた隙に私はその場から逃げた。早歩きで。なるべく人混みを狙って蛇行した。あっとか、待てとか聞こえた気がするけど、待ってて言って止まるなら、指名手配犯なんていなくなると思うの。
 人の波を掻き分けて、入り口近くに戻る。とても怖かった。人の波もそうだけど、あの人が一番怖い。なんだろう、厄日かな今日は。
 入り口近くに白いテーブルがズラリと並べられ、美味しそうな匂いが漂ってきたけど、食欲が湧かなかった。もう一度振り返って絵画を見てから、私は会場を出ることにした。
 会場を後にしてクロークを抜ける。ホテル一階に降りると、ロビーのソファに体を預けた。まだ体が強ばっている。知らないうちにはああ、と長い溜め息をついていた。
 握りしめていたクラッチバッグからスマートフォンを取り出す。一応お父さんに連絡しておくために。疲れたから一階のロビーにいます。それだけ打ってメールを送信した。
 スマートフォンのディスプレイを落として、ぐでっとだらしなくソファに寄りかかってぼおっとしていると後ろから肩を叩かれた。さっきのイケメン妖怪のことを思い出して今度は体が固まった。しかし、掛けられた声が違う人物だった。

「さくら子さん?」
「運転してた、お兄さん・・・?」

 そこに居たのは、先ほど車を運転していたお兄さんだった。