マリアンヌとサリーは徒歩で、コスナー氏の屋敷へ訪れた。
辻馬車を拾ってもよかったのだが(マクレーン家には馬車はない)、お金を節約しようと思い、ここまで歩いてきた。
この間のように、ひったくりに会う可能性もあったが、今度はハンドバッグを両手で抱きしめながら歩いた。マリアンヌとサリーは、教えられた住所まで歩いた。
大きな扉に、3階建ての建物があった。呼び鈴を押すと、執事の男性が出てきた。
マリアンヌが、「コスナー氏に会いに来ました。お茶会に招かれたので。」というと、執事の男性は、マリアンヌ達を客間に案内してくれた。
マリアンヌとサリーがそこで、ビクトリアン調の優雅な椅子に座りながら待っていると、コスナー氏が現れた。コスナー氏は相変わらずパリッとした仕立てたばかりのような服を着て、非の打ち所がないいでたちで立っていた。
マリアンヌは、思わず見つめてしまい、コスナー氏も見つめ返してきた。
マリアンヌは気恥ずかしくなり、目をそらしてしまった。
コスナー氏がマリアンヌの方へやってきた。マリアンヌは立ち上がり、(続いてサリーも)「お招きいただき、ありがとうございます。ご招待してくれて嬉しいです。」というと、コスナー氏も「いえ、こちらこそあなたがおいでくださり、嬉しいです。どうぞお掛けになってください。」と言い、マリアンヌを座らせた。
コスナー氏は呼び鈴を鳴らして、紅茶と軽食を持ってくるように指示した。
しばらくすると、先ほどの執事がやってきて、茶会のための用意をしてくれた。ポットからカップへ紅茶を注ぎ、砂糖とミルクを置いて、簡単なお菓子やサンドイッチが並べられた。
マリアンヌは、勧められて紅茶を一口飲んだ。茶葉の匂いが鼻腔をくすぐった。「こんなにおいしい紅茶は初めて。きっといい茶葉を使っていらっしゃるんでしょうね。」そして、一口サイズのサンドイッチを食べた。ケヴィンは、マリアンヌが美味しそうに食べる様子を見て、好ましく思った。
何も恥じらいなく、美味しいものを美味しいと素直に食べているところを見ると、こちらまでいい気分がしてきた。ケヴィンはマリアンヌの近況を尋ねた。
マリアンヌは、「もうすぐ家庭教師を始めるの。」と伝えた。「へー、家庭教師。」ケヴィンは少しびっくりした。王宮の舞踏会に出席できる女性が(つまり家が貴族)、働くなんていうことは考えられなかった。ケヴィンはマクレーン家は財政的に窮しているのかなと想像した。
マリアンヌはコスナー氏がどう考えているかもちろん分かった。
でも自分が働きに出るからって、恥ずかしがることなんてないのよ、っと思って出来るだけ澄ました顔をして紅茶をすすった。ケヴィンはその場の雰囲気が悪いものになりたくなかったので、話をつなげようと思い、「どこの家庭でされるのですか?」と尋ねた。
マリアンヌは、「クレモンセヌ家ですわ。でも、まだ働いてはいません。決まったばかりですの。」と答えた。
「クレモンセヌ家なら存じています。何を教える予定ですか?」
「幾何学以外なら何でも。幾何学は苦手でして。私は特に、言語が得意ですわ。」
「そうですか。実は私は、逆に数学的なものが得意でして。
会計とかが得意です。ですからかもしれませんが、今働いている所も王立取引所なんですよ。」マリアンヌは驚いて紅茶を飲むのをやめた。
「それはすごいですね。中々そういう所で働けることはできないですわ。」
そして、コスナー氏は誰か有力者と親戚なんだろうと思った。
そうでなければ、そんな所では働けない。身のこなしも素晴らしいし、マナーもしっかり心得ている。
それに王宮の舞踏会にもいた。コスナー氏の事は、知らないことだらけだった。
でも、親族の事はまだ知り合ったばかりで聞くのははばかられた。それでマリアンヌは、自分の事をもっと話した。マクレーン家が5人姉妹なこと。男子が一人もいないから、家を継ぐ人がいなく、父が嘆いていること。母は、数年前に亡くし、それからは、マリアンヌが母親代わりなこと。
5人姉妹は仲が良く、特に末っ子のポリーと仲が良いことなどを話した。
コスナー氏はとても興味深く聞いてくれて、マリアンヌは、嬉しい気持ちになった。
一方、コスナー氏はマリアンヌがとても気持ちのいい話し方をする人だと気が付いた。
マリアンヌが話すと、何故かきれいな洪水に巻き込まれて、自分の心がいつの間にか澄んだような状態になる気がしてきた。マリアンヌが話し始める前と後では、自分の心が全然違うことに気がついた。
さっきまで、ケヴィンは仕事明けで疲れていたのに、今はそんなことを感じなくなっている。ケヴィンはマリアンヌが話す歌をうっとりと聞いていた。
マリアンヌはふと、自分ばかりペラペラ話していることに気がついて、手を口元に持っていって赤くなった。「ごめんなさい。私ばかり、話してしまったわ。退屈じゃなかったかしら?」「いや、とっても楽しく聞けたよ。君は話上手だね。」
「ありがとうございます。きっと女ばかりで囲まれて育ったからですわ。おかげで話すことは大好きなの。」
「うらやましいです。私は一人っ子なので。それに、母とも時々しか会えませんでした。だから、私の少年時代は寂しいものでした。学生になってから友人に恵まれたのですが。」
「まあそうですの。私の家は本当にうるさいぐらいですよ。それはもう大変なものですわ。」そういうと、マリアンヌはフフっと笑い、笑みをこぼした。それから二人は楽しく談笑した。「そろそろお暇しなければなりませんわ。」
「そうですか。今日は楽しい日を過ごせました。お越しくださり、ありがとうございます。」そういうと、ケヴィンは立ち上がった。「また会えることを楽しみにしています。」二人は玄関口で別れた。