サラサラと春の夜風が俺の頬を撫でる

ナオはその綺麗な黒髪を春の夜風になびかせ、どこかで聞いたことのある曲を鼻で歌う。

「あれれ、もう真っ暗ですね」
「うん、九時前だからね」

辺りには俺ら二人以外は誰も居なくて、三日月と霞んだ星たちが目立っている。

ナオのいう「良い散歩コース」とは、ただの河川敷沿いの道だった。ここは俺の登下校の道でもあるからただの道に過ぎない。でもナオにとっては特別な道らしい。

「河川敷って漫画っぽい。あ、ドラマかな。道端に咲いてるお花、生い茂る雑草。ちゃんと生きてるんですよね」

なんて言いながら軽くスキップをして俺の先を行く。辺りが静けさを増したのはナオが鼻で歌うのを辞めて、その場にしゃがみこんだからかな。

「どうかしたの?」
「ホトケノザ」
「…ん?ホトケノ…ザ?」
「別名、サンガイグサ。花言葉は"輝く心"」

そういってソッとホトケノザを手に取り、すぅっと息を吸った。

「花の寝る匂い、しませんね」

ナオはポケットからティッシュを一枚取り出しホトケノザを包んで、優しくポケットに閉まった。

「ホトケノザってゆうんだね。知らなかった。その雑草?は春だなぁって感じる」
「雑草ってゆう生き物はいないんですよ」
「そうなの?」
「知らないですけど」

といって、舌を出しておどけるナオの目は笑ってはいなかった。どこか遠くを見るような、深い目をしていた。

「帰りましょう、長瀬くん」
「え、もう?」
「はい、飽きました。眠たいです。良い子はもう寝る時間でしょう」
「はいはい」

この時俺は、正直言って帰りたくはなかった。もっとナオと居たいと心から思った。同時に、ワガママな子だなと思った。

「家まで送るよ」
「え、え、え。いーです。大丈夫です。一人で帰れます」
「でも、もう遅いし。真っ暗だし」
「走って帰ります!こう見えても足、早いんです。自慢です」
「そっか、なら近くまで」
「じゃあ、近くのコンビニまでお願いしてもいーですか?」
「はい、喜んで」

そう言ってナオの横に並んで帰路につく。ナオの家は俺が住んでいる方向と同じで、近くのコンビニといっていたところも俺の家から一番近いコンビニだった。

「長瀬くん、遠いのにありがとうございます」
「んーん、俺も家こっち。ってゆうかすぐそこ」
「へぇー、そうなんですか。じゃあ、すれ違ったりしますかね」
「するのかな」
「んー、わからないです。気づくかどうかもわからないです」
「それは、ヒドイ」
「えへへ、それじゃあ。今日はありがとうございました。おやすみなさい」
「や、こちらこそ、ありがとう。気をつけて帰ってね。おやすみなさい」

ナオが見えなくなるまでその場で手を振り続けた。ナオも少し進んでは後ろを確認して、少し進んでは後ろを確認してと何度も俺に手を振ってくれた。

俺の横にはナオの匂いが少し残っている。香水の匂いじゃないのは確か。優しくて、包み込んでくれるようなそんな匂いだった。

『あ、お母さん心配してるかも』

家に向かって真っ直ぐ帰る。春の夜風が少し冷たく感じた。家の近くの階段のす隅にホトケノザが生えていた。俺はその場にしゃがみこんでホトケノザに鼻を近づける。なんの匂いもしない。ただの、草って感じだ。

ナオは何を思って今日の俺と接してくれたのだろうか。
なぜ俺に、良い散歩コースを紹介してくれたのだろうか。
口数の少ないナオが口から零す言葉はほぼ単語に近い。
そんなナオの言葉に必死に耳を傾けた。
声色では感情の読めないナオの心が知りたくて、俺は異常なまでにナオの表情に目を凝らした。