ただの迷子だ、と告げるとおかしそうに笑って屋敷へと招き入れてくれた。

「橘伊吹……じゃあイブちゃんだね」

初めてあだ名を付けられた。

「これね、この山の木苺使ってるんだよ」

初めて木苺を知った。

「イブちゃんは可愛いな」

初めて褒められた。

私は翌日も翌々日も、ずっとそこへ通い続けた。彼と話すのが楽しかった。新しいことを知り、新しいものに触れ、新しく感じる。それが楽しくて毎日通った。

「ただい--」

あの事があるまでは。

「--ぇ」

真っ赤な花が咲き誇る庭の中で誰かが四つん這いになっていた。その下には何かがいる。

庭の花にも負けないくらいの鮮やかな赤。彼はその赤いモノに跨っていた。なにかはよく見えない。誰がいるのかもわからない。

ただ怖いと思った。隠れなければと焦った私は、静かに屋敷の周りの木々へと身を隠した。

体は震え、悲鳴に近い息を漏らし、声を殺し、ずっとその様子を見ていた。

時間にしたらきっとほんの数分、庭にいた誰かはいつの間にか赤に染まり、きょろきょろとしながらここを去っていった。

もういなくなったのを確認すると、私は駆け出した。

「ねぇ!大丈夫!?」

やっぱり、下にあったのは彼。

「来るな!」

彼の静止も聞かずに駆け寄る。そこには鮮血の赤に染まる彼の姿。人が見るものではない、人の原型が崩れたヒト。正直私は動きを止めてしまった。

「なんで、来るんだよ……イブちゃん……」

初めて彼は泣いていた。

「巻き込んじゃ、ダメ…なんだよ……」

こんなに体が痛いはずなのに。

「イブちゃんは、知らなくていいんだ……!」

私の心配をしてくる。

「今すぐ、俺の…目の前から消え…てよ……!」

そんな彼にもう恐怖など感じるはずはない。

「消えろよ……!」

泣きながら私に消えろと叫ぶ彼の体をまさぐる。何があったのかなんてどうでもいい。ただ血を止めなければ死んでしまう。そう思った。

「触るな……俺に、近づくな……!」
「嫌です」

シャツを脱がせ、傷を探す。しかし、どこにも傷は見当たらない。

「くっそ……!なんで……!」

さっきまで体には穴が開くほどに傷は抉られていた。それなのに何故どこにも傷がないの……?

「イブちゃん」

ゆっくりと起き上がる彼はもう、泣いてはいなかった。

「はい」
「もう、ここには来るな」

俯いたまま、静かにそういった。

「なんで?」
「もう分かってるだろ?俺が化け物だからだよ」

ようやく顔を上げた彼は困ったように笑った。いや、笑った振りをした。

「だから?」

そんな彼の表情に苛立ちを覚えた。

「だからってなんでダメなの?」

彼はいつものように頭を撫でようとして、手を止めた。行き場をなくした手でそのまま自分の後頭部をかく。お得意の貼り付けた笑みと誤魔化し。

「イブちゃんを襲っちゃうかもよ?食べるかも。もしかしたらイブちゃんも化物になるかもよ?」

おどけて言うのは彼が私に何かを言い聞かせる時。

「ならなんで今更?」
「なんでだろうな、イブちゃんに情がわいたからかな?」

彼はもうこうなったら本音を言わない。だから諦める他ない。